「70年が満ちた2021 回復と再建の年!〜安心して行きなさい。苦しむことなく健やかでいなさい〜」

2021年10月24日(日)新城教会主任牧師 滝元順

マルコの福音書5章34節

『そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!まずは主に大きな拍手をおささげしましょう。
礼拝が二部制になってから一年半ほどが経過しました。長い間、ともに集まることができませんでした。しかし今日、ご一緒に礼拝できる恵みを、心から感謝します。
また主はインターネット礼拝という方法も与えてくださいました。同時刻に、サイバー空間にも新城教会が誕生しました。コロナ禍の社会においては、失うものが多くあるわけですが、神の国では、何も失うものはありません。主は豊かに祝福してくださったことを、心から感謝します。

祈りにより、コロナ感染もだいぶ収束してまいりました。昨日辺り、全国での新規感染者は「二百八十五人」と報告されていました。一億二千六百万の人口で割ったら、本当にわずかな比率です。都内では三十二人、大阪で四十六人、愛知は二十二人となっていました。新型コロナウイルスが力を失っています。ウイルスのボスが、「もう日本人に関わるのはやめよう。」と、神からの指令を受けて、「撃ち方やめ!」という号令が発せられたかのようです。今後、第六波などが来ることがないように、さらに祈りましょう。ここからが踏ん張り所です。礼拝を一部制に戻しましたが、教会で心合わせて祈るならば、やがてゼロに近づくと信じます。

今日は十月二十四日です。私にとっての本日の礼拝は、記念日となりました。何故ならば、家内が二年前の十月二十五日に「余命三ヶ月から四ヶ月」という宣告を受けたからです。ということは、本日はその日から数えて、「二カ年が満ちた日」となるからです。
いつも話していますけれども、当時家内は膵臓癌末期で、「治療しても、六ヶ月ぐらいでしょうか・・・。」とも言われました。手術は不可能で、生きる希望はありませんでした。そんな家内が、先日は手術も無事に終わり、青息吐息ではなく、結構元気に二年間を過ごすことができ、明日からは、三年目に入ります。
これは、キリストのからだ全体による、祈りの勝利です。この勝利は、家内だけでなく、新城教会と、そこに関わるすべての方々に共有されるべきです。

先週は病院に行って手術の結果について、細かいことを聞いてきました。やっぱり手術して良かったです。
術前、家内はPET・CTでも腫瘍反応はなく、造影剤CTでも、腫瘍は確認されませんでした。また、マーカー値もかなり下がっていて、普通の健康診断だったら、問題がないぐらいまで回復していました。
しかし膵臓癌の恐ろしさは、それでも原発付近にはガン細胞が隠れていて、放っておけば盛り返してくるという話でした。今回、医師たちの強い勧めもあり、手術を決断しましたが、やはり切り取った膵臓には悪い細胞が残っていました。「手術して良かった!」と思いました。
しかし、最も良かったのは、周りのリンパ節に転移がなかったことです。膵臓ガンが完全に消えたとしても、周囲のリンパ節にガン細胞がいたら、今後、難しくなるらしいです。
家内にガンが見つかった当初は、すでに三センチくらいのサイズになっていました。その後、約五センチにまで増悪しました。
それから二カ年近くが経過しました。膵臓周辺の環境は血流も激しく、多くの臓器に囲まれていて、通常、リンパ節に転移しない確率は、かなり低いらしいです。しかしなんと、そこに転移がありませんでした。
先日、書き込まれていたノートの文字が消えて、ノートが新しくなったという奇跡が起こりましたが、主が家内の体内ノートを新品にして下さったように感じました。主が祈りに答えてくださったこと以外に、説明できないです。
この二年間、たいへん厳しい戦いではありましたが、ここまでこぎつけることが出来、皆様に心から感謝を申し上げ、主のみ名をこころからあがめます。
まだまだ戦いは続きますけれど、今後もきっと主が、さらなる奇跡を見せてくださると信じています。
先日、家内が自分で祈っている時、「過去を見たら、未来もわかるじゃないか。」と、主から語られたそうです。この二年間を振り返るならば、未来も見えてきます。パウロも将来と希望を、同様に定義しました。

今までの戦いについて、詳しくお話できる日が来ると信じて祈っていましたが、今日がまさにその日であると信じて、二年間の戦いをふりかえり、まとめてみたいと思います。今日のメッセージが、家内だけの勝利ではなく、キリストのからだ全体の勝利であることを、心から願っています。

その前に、一カ所みことばを読みたいと思います。先ほど読んでいただいた箇所ですが、マルコの福音書五章三十四節、

『イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく健やかでいなさい。」』

素晴らしい言葉ではないでしょうか。私たちにも「娘よ。息子よ。」とイエスさまから声をかけていただけたら、どんなに安心できるでしょうか。この言葉が、今日はお一人ひとりのものになりますように、心から願います。
また今日は「伝道礼拝」です。初めて教会に来られた方や、最近、教会に来られた方もおられると思いますが、私たちの信じる神は、すばらしいお方です。

この箇所は二千年前に、十二年間血が止まらない婦人病にかかっていた女性に直接語られた言葉です。しかし二千年後の現代においても、聖霊によって、同じ言葉があなたに語られます。
これは、イエスさまがゲラサでレギオンを追い出した後、対岸のガリラヤに戻られた直後に起こった出来事です。
イエスさまが、ゲラサですごいことを行われたという噂は、地域全体に知れ渡っていたはずです。イエスさまがガリラヤ地方に戻られると、すぐに多くの人たちが押し寄せてきました。
すると近くのシナゴーグの会堂管理人が走ってきて、「イエスさま。娘が今、死にかけています。私の家に来て救ってください!」と懇願しました。それを聞いてイエスさまは、すぐに管理人の家に出向いて行かれました。
イエスさまは当時、有名人でした。普通なら、すぐには来てくれそうもないと思うのですが、なんと、イエスさまは頼まれたらすぐに、その家に向かわれたのです。

しかしその家に向かう途中、女性に奇跡が起こったのです。どのような形で起こったのかと言いますと、
マルコの福音書の五章二十六節、

『彼女は多くの医者からひどいめに会わされて、持っている物を全て使い果たしたが、何のかいもなく、むしろもっと悪くなっていた。』

この女性は、多くの医者から酷い目に会わされていたと記録されています。聖書を読む時、現代の価値観で読んではいけないのです。これは二千年前の記録です。医者とはいっても、現代の医者とは全く違います。当時の医者の多くは、ウイッチ・ドクター、呪術医でした。拝み屋みたいなものです。彼らは怪しい薬草を駆使して、魔術的な治療を行っていました。だからお金だけはひったくっても、治療効果はなかったのです。むしろもっと悪くなっていました。それで彼女は、生きる希望を完全に失ったのです。

そんなある日、彼女はイエスさまの噂を聞きました。そしてこんなふうに考えるようになりました。
五章二十七〜二十八節、

『彼女は、イエスのことを聞き、群衆と共にやって来て、うしろから、イエスの衣にふれた。「あの方の衣にでもふれられれば私は救われる」と思っていたからである。』

彼女は群衆の一人でした。イエスさまの周りには、群衆が迫っていましたから、直接、イエスさまに祈ってもらったり、手を置いてもらうチャンスはなかったと思われます。
またイエスさまは、ヤイロという会堂管理人の家に向かう途中でした。
しかし彼女は考えたのです。イエスさまの衣にでも触れたら救われると、淡い希望を持ったのです。彼女は渾身の力を振り絞って、イエスさまの衣にふれたのだと思います。
その瞬間にイエスさまから力が流れ出て、血の源が枯れて、彼女は、病気が癒されたことを身に感じたのです。
その時のイエスさまの女性に対する言葉が、本日のテーマです。

『イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく健やかでいなさい。」』

このストーリーに接する時、私はある意味で、家内に重なるような気がします。二年前、何の希望もなく、どんどん悪くなる状況下で、頼れるのはただイエスさまだけでした。まさしく家内も、イエスさまの衣にでも触れることができたら救われるという、淡い期待状態そのものでした。

二年前、私がこの場所で、家内の病について発表した時、会衆の皆さまが、大きな失望と落胆で一瞬にして、この場が暗くなったことをはっきりと覚えています。しかし皆さまが、この大問題を自分のことのように捉えてくださり、真剣に祈り始めてくださいました。
それから、二年が経過しましたが、今日は、「娘よ。」という呼びかけを「教会」に置き換えることが出来ると思います。

・・イエスは新城教会に言われた。「新城教会よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく健やかでいなさい。」
今朝は、二年間の信仰の戦いを、少し詳しく、お話しさせていただきたいと願っています。共に主の奇跡を感謝し、喜び、信仰によって将来に向かい、希望を持って前進したいと願っています。

家内の病が発見された年、私と家内にとっては、人生において最も忙しい年でもありました。全国の教会を巡回し、リバイバル聖会を始めましたし、毎月のように、海外での奉仕がありました。
家内はちょっと疲れを覚えていた事は確かです。しかし、膵臓癌の恐ろしさは、症状が出た時には手遅れだということです。当時、十二指腸潰瘍があり、治療を受けていました。その流れで血液検査をしたら、ある朝病院から、「肝臓の数値がすごい値になっているから、すぐに大きな病院に行ってください!」という連絡が入りました。おどろいて、すぐに精密検査を受けるために、豊川市にある総合病院に行きました。
しかしまさかそんな重大な病だとは、思っても見ませんでした。いろいろな検査を終えて、「滝元さん、診察室に入ってください。」と呼ばれました。家内一人で入ればいいかと思いましたが、「一緒に来て」と言うので、一緒に入りました。
するといきなり医者がこう言いました。「今の状況を説明させて頂きます。膵臓に癌があります。それが胆管を押し潰していて、胆汁が流れない状況です。黄疸も出ています。すぐに胆汁を流す処置をしなければ危険です。今から即、入院してください。」ということでした。
膵臓癌と聞いて、全身から血の気が引く思いでした。

しかし家内は落ち着いた口調で、「私って、あとどのぐらい生きられるのですか?」と医者に質問しました。すると、「そうですね。この状況だと、三ヶ月から四ヶ月というところでしょうか・・。」
最近ははっきり告知しますよね。私もテレビドラマなどで、そのような場面を見た事はありましたが、まさか家内に起こるとは夢にも思っていませんでした。しかしそれが現実でした。
気持ちをどこに持っていっていいのかわかりませんでしたが、気を取り直して、「まだ天が開いているじゃないか!今まで霊的戦いを実践し、聖霊の働きも、癒しも、解放も、体験してきた。今までに主から与えられた情報をすべて駆使して、死ぬ気で家内の為に戦い、祈ってみよう!!」と、私は余命宣告を受けた診察室の只中で決断しました。また、教会の皆さんにもすぐにこの状況をお伝えして、祈っていただこうと思いました。

家内はその日、そのまま入院して、胆汁を抜く為の処置が始まりました。まずは内視鏡で、ステントを挿入する作業が試みられましたが、処置の途中で医師が、「だめだ。無理だ。」と言って撤退しました。なぜなら、あまりにも癌が硬く胆管を押し潰していて、隙間がなかったからです。それで腹から針を刺して、胆管に直接チューブを挿入して、胆汁を抜く処置に変更となりました。本当に痛くつらい治療でした。初めは細い管から始めて、それを、何週にもわたり、七回も繰り返しました。みるみる家内は弱っていきました。「三ヶ月・四ヶ月の命と言われたけれど、実際はもっと短いだろう・・・」と感じました。目の前で苦しんでいる家内を見ながら、どうすることも出来ずに、本当に忍びなかったです。
当時はコロナもなかったので、ずっと病室で付き添っていました。食べることもできなくて、本当にかわいそうでした。
そんな中、大学病院のセカンドオピニオンをもらったほうがいいのではと勧められて、藤田医科大学病院に予約し、息子と娘夫妻が聞きに行ってくれました。
藤田医科大学病院はやはり、医療技術も高いですから、「ステント挿入作業をもう一度、こちらでも試してみましょう。」ということでした。しかしそこでも、「余命は六ヶ月くらい」と言われたそうです。