家族のために戦え

2022年4月3(日)新城教会牧師 公畑フェルナンド

ネヘミヤ記 4章13-14節

そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の、空地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。私は彼らが恐れているのを見て立ち上がり、おもだった人々や、代表者たち、およびその他の人々に言った。「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」

ハレルヤ!感謝します。今日は素晴らしい日です。最初に今日は新年度の最初の日曜日、本当に感謝です。さっきの賛美のビデオもとても良かったです。そしてもう一つは、今日、二年ぶりに愛する教会のカレーを食べることができます。そして一番大事なことは、今日は主の日です。最初に、一緒にみんな賛美しまして、そしてこれから一緒に聖書から学びます。
それでは、メッセージに移りたいと思います。

「家族のために戦え」というタイトルです。ネヘミヤという人物はイスラエルの歴史の中で重要な人物です。なぜなら神は崩されていたエルサレムの城壁を再建するために、彼を用いられたからです。神はネヘミヤをこの記録的な時代に用い、エルサレムの城壁を再建するようになさいました。
そして興味深いことに、私たちの生きているこの時代も、ネヘミヤの時代と同じような時代なのです。道徳という城壁や、価値という城壁や、原理原則という城壁が破壊されている時代なのです。そしてこの時代は、良いことを悪いといい、悪いことを良いと言います。今の社会は不道徳や邪悪なものや、罪に対してますます寛容になっています。正直言って、この時代、私たちの夫婦関係や家族関係は危機にさらされています。
もしも敵の戦略が私たちの家族関係や夫婦関係を破壊するものであるとしたら、私たちクリスチャンは、今こそ、夫婦関係や家族や家庭を助けること、支え守ることを、特別に強く主張するべきです。

このようにネヘミヤはイスラエルの民を呼び集め、こう言いました。「あなたがた一人ひとりが、家族、家庭、子どもたち、妻のために戦う時代に生きている」と。そして今日私も、皆さんを呼び集め、発破をかけたいと思います。今私たちが生きている時代は、家族のため、家庭のため、また子どもたちのために戦わなければならない時代なのです。たとえ世界を手に入れても家族を失うなら人生に価値はないし、たとえ世界を手に入れても良い夫婦関係を失うなら価値はありません。たとえ世界を手に入れても、子どもたちを失ったらなんの価値もないのです。

ネヘミヤが町の城壁を再建していた時、彼はその町に住む家族を守ろうとしました。それは、私たち教会として、家族、夫婦、家の周りを囲む、守りの城壁を再建する人にならなくてはいけないということです。そこで今日は、家族を守るための三つの助言をお話ししたいと思います。

家族を守る3つの助言;

第一番目は、「主の道を子どもに教える」ということです。箴言二十二章六節、

『若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば、年老いても、それから離れない。』

親として、主の道を子に教える責任があります。神のみことばの原則や価値も同様に教える責任があります。テレビやゲームの中にある価値観で子どもたちが成長することを放っておいてはいけません。それは国の責任でもなければ、学校の責任でも、教会の責任でもありません。クリスチャンとしての価値と原則を教えるのは、親であるあなたなのです。
自分の子に価値や原則を教えないなら、またあなたが神を敬うことを子に教えないなら、この世が神の名を汚すことをあなたの子どもたちに教えます。あなたが良いことを子に教えないなら、この世が、あなたの子どもたちに悪いことを教えます。聖書による親の責任とは、神の道を教え、何が正しい道であるかを教えることです。何が正しい道であるか、何が徳を高めることかを教えるのは、私たちの責任です。

そして聖書には一つ約束があります。もしあなたが子どもに正しい道を教えるなら、あなたの子は年をとっても神から離れることはないというものです。もしあなたが子に神の道を教えるなら、神はご計画をその子の上に成就されます。神はその子の価値を完成されるのです。神はあなたの子、一人ひとりの目的を完成されるのです。しかし自分の子を育て、教え込むことや、クリスチャンとしての価値や信仰の価値を教えるのは、あなたの責任なのです。
申命記六章六節〜七節(新改訳2017版)、

『私が今日あなたに命じるこれらのことばを心にとどめなさい。これをあなたの子どもたちによく教え込みなさい。あなたが家で座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。』

ここで聖書が言っているのは神のみことばです。そして、神は私たちにこう仰せられます。「今日私は、あなたが従うためのことばを与える。しかしただそのみことばに従うのではなく、あなたの子どもたちにそれを教えなさい。彼らと話すときにも、昼も夜もそのことばについて語りなさい。そしてそのことばがあなたの家から離れないようにしなさい!」と神は言われます。今日私はあなたにチャレンジを与えたいと思います。一週間の内、一回でもいいですから、家族のデボーションの時間を作ってください。そこで彼らの人生が豊かになる、神の国の原則や価値観を教えるようにしてください。

旧約聖書中にとても有名な王様が出てきます。アハブ王です。この王には70人の子がいました。このアハブ王は邪悪な王でした。神のみことばや神の原則を教えるべきところを、彼は全く反対のことを子どもたちに教えました。彼は、異教の神であるバアルに仕えるように教えたのです。
人生には行ったことに対する報いがあるということは真なのです。アハブ王はすべてのものを手に入れたように見えましたが、彼は子たちを良い道に導く代わりに、全く逆の、悪い模範を示しました。
その家族がどうなったか聖書を見ていきましょう。第二列王記十章十七節、

『サマリヤに行った。エフーはアハブに属する者で、サマリヤに残っていた者を皆殺しにし、その一族を根絶やしにした。主がエリヤにお告げになったことばのとおりであった。』

アハブの一族は根絶やしにされました。つまり、すべての子たち、アハブの七十人の子どもたちは死んだのです。もちろんその中には自分の行いによって死んだ子もいたでしょう。一度も悔い改めなかったことによって死んだ子もいましたが、その多くが親の悪い模範によって死んだのでした。

そして、もう一人の人物についてお話ししたいと思います。この人物も七十人の子孫がいました。その名をオベデ・エドムといいます。この人は神を愛した人物です。彼は神の臨在を愛し、みことばを愛しました。聖書には、彼の家に主の箱が置かれたと書いてあります。それでは今、このオベデ・エドムの子孫がどうなったかを見ていきます。第二サムエル記六章十一節、

『こうして、主の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。主はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。』

これはオベデ・エドムの七十人の子孫が祝福されたということです。そして今日私は、「あなたもこのオベデ・エドムのようになる」と宣言したいのです。あなたの子孫一人ひとりが祝福され、抜きんでた人生となり、また神のために素晴らしいことを成し遂げる人になると宣言したいのです。
しかしそれは自動的にはなりません。私たちが神のみことばを子に教えることを求めています。神のことばを伝えることを求めています。家族でデボーションをもつことを求めているのです。アーメンですか?

第二番目に、「家族のために祈る」時です。ヨブ記一章五節(新改訳2017版)、

『宴会の日が一巡すると、ヨブは彼らを呼び寄せて聖別した。朝早く起きて、彼ら一人ひとりのために、それぞれの全焼のささげ物を献げたのである。ヨブは、「もしかすると、息子たちが罪に陥って、心の中で神を呪ったかもしれない」と思ったからである。ヨブはいつもこのようにしていた。』

ポイントの第一番目は、神のことばを教えることで家族を守ることでしたが、第二番目は祈りによって家族を守ります。義人の祈りには力があります。父親・母親の祈りは、子どもたちの人生に、将来に、また目的に対して力を持っています。ヨブはその原理をよく知っていました。聖書には、彼が子どもたちのために毎日祈っていたことが書かれています。毎日祈りによって子どもたちを覆っていたのです。またヨブは、子どもたちの罪のためにも祈っていました。
子どものため、夫婦のため、家族のためにあなたが祈るたびに、あなたは守りの城壁を彼らの周りに建てていることになります。それは家族をイエスの血で覆っていることになります。
そして聖書が言っている通り、あなたは確信をもって、こう言えます。「どんな武器も家族に対しては役に立たなくなる(イザヤ書54:17)」と。「なぜなら私の家族は祈りととりなしによって覆われている。」あなたはこう聞くかもしれません。ではどのように城壁を築くのでしょうか?どのように家族を守るのでしょうか?それは祈りの城壁を彼らのために建てることで、です。
あなたが祈るということは、自分の夫婦関係のために戦っているということです。家族のために戦っているということです。家のために戦っているということなのです。あなたが祈るたびに、彼らの周りに守りの城壁を築いているのです。
子どもが学校に行く前に祈ってください。もしかしたら事故が起こるかもしれないし、敵の攻撃があるかもしれないし、いじめなどがあるかもしれないからです。

あなたの子がもう大きくなり、教会に集まりたくないと言っても、またあなたの配偶者がそうであっても、毎日膝をかがめてください。彼らのために祈り続けてください。神のみことばはむなしく帰ってくることはありません。あなたの祈りもむなしく帰ってくることはありません。
その祈りは必ず子どもたちの心に触れ、またあなたの夫、また妻の心に触れ、家族の心に触れ、家族の終着駅を変え、家族の未来を変えるのです。
ですから、あきらめないで家族のために祈り続けてください。子どもたちのために、夫婦のために、祈り続けてください。

あなたの家庭の目に見える状態について宣言してはいけません。いつもあなたが見たいと思う状態を宣言してください。家族の中に問題があるかもしれませんが、あなたはヨシュアのように宣言してください。「私と私の家とは主に仕える!」と宣言してください。どんな問題の中にあっても、どのような状況下でも、「私と私の家とは主に仕える!」と宣言するのです。
たとえ、あなたの子どもが遠くに住んでいて教会に来たくないと言っても、あなたはこう宣言してください。「私の子どもたちは放蕩息子のように、イエスさまの名前によって必ず帰ってくる!」「神さまによって回復される!」と宣言してください。「イエスさまの名前によって教会に帰って来る!」と宣言してください。

あなたの夫婦関係が危機に瀕しているかもしれません。しかしこう宣言してください。「平安が来る!」と。そして、「ゆるしが来る!」「回復を与えてくださる!」と宣言してください。聖書が言うように、無いものを有るもののように宣言するのです。自分の夫婦関係に「いのち」を宣言し、状況に対しても「いのち」を宣言し、家庭に対し、家に対しても「いのち」を宣言しましょう!家族のために祈ること、とりなすことに飽きないでください。

ネヘミヤ記には彼がどのように軍隊、民を配置したか、書かれています。ではどのように配置したのでしょうか?家族ごとに配置したと書かれています。戦いに行くのですが、家族ごとで行くというのです。
私が教会について良いと思うことは、ただ単にメンバー同士であることより、またリーダーであるというよりも、一つの大きな家族であるというところです。アーメンですか?

そして三番目の助言ですが、「家族と共に教会に集う」ことです。創世記七章十一〜十六節、

『ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。ちょうどその同じ日に、ノアは、ノアの息子たちセム、ハム、ヤペテ、またノアの妻と息子たちの三人の妻といっしょに箱舟に入った。彼らといっしょにあらゆる種類の獣、あらゆる種類の家畜、あらゆる種類の地をはうもの、あらゆる種類の鳥、翼のあるすべてのものがみな、入った。こうして、いのちの息のあるすべての肉なるものが、二匹ずつ箱舟の中のノアのところに入った。入ったものは、すべての肉なるものの雄と雌であって、神がノアに命じられたとおりであった。それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。』