「ニューイヤーセレブレーション」

2021年1月1日(金)新城教会主任牧師 滝元順
「天の暦を勝ち取ろう!」

ハレルヤ!新年明けましておめでとうございます。二〇二〇年、激動の年でしたが、主の守りの中、ここまで来ることができて感謝します。個人的にも皆さんに支えていただき、本当に感謝しています。
昨年は私にとって決して忘れることのできない年となりました。皆さんにとっても同じだと思います。
二〇二一年、新しい年が始まりましたが、どのような年になるのかは神のみぞ知るところです。私たちは主に期待して歩んでいきたいと願っています。
二〇二〇年に掲げさせていただいたみことばは、エレミヤ書二十九章十〜十二節でした。暗記できるくらい覚えられたと思います。

『まことに、主はこう仰せられる。「バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたにわたしの幸いな約束を果たして、あなたがたをこの所に帰らせる。わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。‐‐主の御告げ‐‐それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。』

今年、「七十年が満ちるころ、わたしはあなたがたを顧みます!」というこの約束、新城教会にも当てはまってほしいと切に願っています。なぜなら昨年は、宣教七十年周年の歴史を刻むことができたからです。一口に七十年と言っても、たいへん長かったです。私の記憶の中でも、「いろんな事があったなぁ・・」と思い出します。楽しい思い出も多くありますが、やはり辛い思い出のほうが多いかもしれません。人生も同じです。しかし二〇二〇年は七十年を満たすことができ、本当に感謝です。
『バビロンに七十年の満ちるころ、わたしはあなたがたを顧み、』とありますから、二〇二一年は、主が教会に訪れ、新しい扉が開くと心から信じる者です。

同時に、歴史を振り返り、感謝をささげることが大切です。私たちの神は、一方的に事をなし、去っていかれるような方ではありません。愛の交わりの中で私たちと共に歩んでくださる神です。ですから、与えられた恵みを、神に感謝することが大切です。
私たちも誰かから感謝されたら、やはり嬉しくなります。もっと何かをしてあげたくなります。これは人間の気持ちというより、神さまの性格がコピーされているからです。私たちの感情とか、思いとか、反応は、元々は神さまにあったものです。

ある時、イスラエルは困難の中にありました。それは神の臨在を示す神の箱が敵に奪われたからです。しかし奇跡的に取り戻すことができました。しかし、キルヤテ・エアリムという場所に神の箱が安置され、そこから神の箱を動かせなくなってしまいました。キルヤテ・エアリムとは、太陽礼拝とバアル礼拝の中心地だったようです。主の臨在の箱は、エルサレムに向かうべきでしたが、そこにとどまっていました。そして二十年が経過したと記されています。
それで民は自分たちの未来を案じて、祈り始めたのです。その時に神がペリシテという宿敵を打ち破って下さったのです。
現在でも「パレスチナ」という名前が使われていますが、「ペリシテ人の地」という意味です。彼らは元々、海洋民族で大変強い民族でした。イスラエルを度々苦しめていたのです。ペリシテ人たちに、どのように勝利したのか。サムエル記第一 七章十節、

『主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。』

これが主のなされたみ業です。神が造られた被造世界がイスラエルと共に戦ったのです。
昨年も、福音とは、人類の救いだけでなく、被造物全体への良い知らせであることに深く気づかせていただきました。我々は、被造世界を管理し、味方につけなければいけません。ここでは大きな雷鳴とありますから、雷が鳴って、大雨が降ったのでしょうか。雹が降ったのでしょうか。それでペリシテが打ち破られたのです。イスラエルの力だけではなかったわけです。
ペリシテに勝利した時、サムエル記第一 七章十一〜十二節、

『イスラエルの人々は、ミツパから出て、ペリシテ人を追い、彼らを打って、ベテ・カルの下にまで行った。そこでサムエルは一つの石を取り、それをミツパとシェンの間に置き、それにエベン・エゼルという名をつけ、「ここまで主が私たちを助けてくださった」と言った。』

ザワメキの中にも「エベン・エゼル」という賛美がありますが、それは、「ここまで主が私たちを助けてくださった」という意味です。
当時サムエルという預言者が、イスラエルを導いていたのですが、彼が主に感謝して一つの石を立てました。それはエベン・エゼル、「ここまで主が私たちを助けてくださった」という記念碑でした。
私たちも神のなしてくださった事を忘れることなく、エベン・エゼルの記念碑を立てることが重要です。先ほども映像を見せていただきましたが、それはある意味、七十年間のエベン・エゼル記念碑でした。
また人生の中においても、主が様々な困難の中から助けてくださったことを忘れないで、心の中に記念碑を立てる必要があります。

まさに二〇二〇年、私にとって最大のピンチの年でした。いつも話していますが、家内に二〇一九年十月二十五日、膵臓癌が発見されたからです。膵臓癌と言ったら、悪しき病の王です。生きることは考えないほうがいいと言われました。三ヶ月、四ヶ月の命だと宣告されました。
その宣告は医者に見放されたことを意味しますから、「祈りしかない」と思いました。皆さんにも祈りのリクエストをして、自分でも命がけで祈ってみようと決断しました。
すると主が命を延ばしてくださり、すでに一年三ヶ月くらいになります。それも元気になってきています。本当に主に感謝しています。
二〇二〇年は私にとって、エベン・エゼル、「ここまで主が私たちを助けてくださった」という記念の年となりました。皆さんにも、神さまとの関わりの中で、感謝があると思います。是非、感謝を忘れないで記念碑としましょう。

神さまは困難な中にも慰めを与えてくださるお方です。昨年の前半は本当に大変でした。家内はいつまで生きるのかわかりませんでした。医者から「今日でも明日でも可能性がありますから、覚悟しておいてください。」と言われました。いつもドキドキでした。
ある日、私は落ち込んでいた時に、目の前にこんな虹が現れました。
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四時頃でした。そんな冗談はどうでもいいのですが、家内には得意料理があります。それはコロッケです。孫たちが、「ばあばのコロッケは世界一だ」と言うのです。それで家内は力を振り絞って、コロッケを作りました。家内のコロッケを食べられるのも、これが最後かなぁ・・みたいに思いました。完成したコロッケを私一人で孫たちに届ける途中、虹が出始めました。これは孫たちが住んでいる家の前で撮った写真です。虹とは聖書では約束です。「あなた方を滅ぼしません。」という意味です。それを見て、私はたいへん励まされました。

時に神は「天にしるし」を見せてくださいます。現代社会はそう考えませんが、古代の人たちは、天にしるしが出ることに大きな関心を持っていました。
今は実験・観察・数理に支えられる自然科学がすべての時代です。神からのサインなど、考える余地はなくなってしまったわけです。しかし、様々な苦しみの中で、神は私たちを励ましてくださるお方です。

さて、二〇二一年、私たちはどのように歩んでいったらよいのでしょうか。七十年が満ちた頃、神は約束を果たしてくださるというのですから、今年は大きく期待したいです。

パウロはキリスト教の基礎をつくった人物です。彼は力ある人でしたが、同時に、多くの苦しみを体験した人でもありました。彼は激しい苦難の中で宣教を進めました。その中でパウロは、将来と希望とは何かについて、主から教えられたのです。この箇所を読んで、私はたいへん共感します。
コリント人への手紙第二 一章八〜九節、

『兄弟たち。アジアで起こった私たちの苦難について、あなたがたに知らずにいてほしくありません。私たちは、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、生きる望みさえ失うほどでした。実際、私たちは死刑の宣告を受けた思いでした。それは、私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。』

パウロは激しい耐えられないほどの圧迫を受けたと語っています。宣教活動の中で、命を脅かされる場面に遭遇したわけです。『実際、私たちは死刑の宣告を受けたような思いでした。』と語っています。
去年、私たち家族は、何回死刑宣告を受けたのか分かりません。テレビのドラマの話だと思っていましたが、本当に辛いものでした。
しかし、そのような時に神は何を目論んでおられるのかというと、いじわるしているわけではないのです。
『私たちが自分自身に頼らず、死者をよみがえらせてくださる神に頼る者となるためだったのです。』とあります。様々な苦しみや悲しみは、神に頼ることを教える教室です。
続いてパウロはこんなふうに語っています。

『神は、それほど大きな死の危険から私たちを救い出してくださいました。これからも救い出してくださいます。私たちはこの神に希望を置いています。あなたがたも祈りによって協力してくれれば、神は私たちを救い出してくださいます。そのようにして、多くの人たちの助けを通して私たちに与えられた恵みについて、多くの人たちが感謝をささげるようになるのです。』

信仰とは何かについて昨年、山崎先生が来て話してくれました。信仰とは信じ切れない事柄を「信じます!」とやみくもに宣言することではなく、神に対する信頼だというのです。神に対する信頼です。それが信仰だというのです。
心の中は疑いがあっても、それを払拭して、信じます!というのではなくて、我々が頼っている神さまに信頼を置くことが信仰です。

そんな経験を通して、パウロは将来と希望をどのように定義づけたのかというと、神は、今までこれほど大きな死の危険から、助け出してくれたじゃないか!ならば将来も助けだしてくれるに違いない!という、過去の事実に基づいて将来を神に信頼したわけです。
私たちも七十年を振り返って、主がなしてくださった恵みとあわれみを心から感謝し、今まで助けて下さったのだから、これからも助けて下さらないはずがない!と信頼し、主についていくことが信仰であり、将来と希望なのです。

そして、信仰を保つためには祈りが必要だというのです。「あなたがたも祈りによって協力してくれたでしょう。」と感謝していますが、祈りによる協力によって、神に対する信頼感は増していくのです。
二〇二〇年は、私の人生の中で最も祈りを多くささげた年ではなかったかと思います。今までも真剣に祈ったことは度々ありましたが、そんなのはすっ飛んでしまうくらい真剣に祈りました。私だけでなく、皆さんも真剣に祈ってくださいました。家族も、親族も、皆、祈ってくれました。
家内の母親と妹はまだクリスチャンではなくて、旧家でなかなか難しかったのですが、家内の病を通して、偶像を拝むのをやめて主にのみ祈るようになりました。この頃では一緒に祈祷会を持っています。八十五歳の義理の母ですが、家内の妹と一緒に我が家に来て、祈ってくれています。家内が病気にならなかったら、もしかしたら、この人たちは救われなかったかなと思います。このような危機を通して、母たちはイエスさまに信頼するようになったわけです。そして家内に起きた数々の奇跡を見て、「イエスさまってすごい!」と感動するようになりました。

去年の十二月十六日はCTの結果が出るということで、大変、心配でした。十二月十六日は義理の母の八十五歳の誕生日でした。いつも祈りは、「私の後について祈って下さい。」と言って、祈ってもらっていましたが、その時は、「お母さん、自分の言葉で祈って下さい。」と言いました。「娘の命が大切なら、自分の気持ちをしっかりとイエスさまに伝えて下さい。」と言いました。そうしたら母親がこう祈りました。
「イエスさま、十二月十六日は、私の誕生日です。私は何のプレゼントも要りません。ただ、娘の享子の良い結果をプレゼントとしてください・・・。」そんな祈りを八十五歳の母親が涙を流しながらささげていました。
この祈りをイエスさまはきっと聞いてくれるだろうと思いました。
主は年老いた母親の祈りにも答えてくださり、すばらしい結果をこの間も皆さんにお伝えできました。さまざまな戦いが人生にはありますが、そんな中で救い主イエスさまに対する信頼、父なる神さまに対する信頼、聖霊さまの助けに対する信頼を学ぶことができます。さらに祈りによって協力し、助け合っていく時に、困難が打ち破られていくと信じます。
エレミヤ書二十九章十二節、