「恐れに対する処方箋」

そして三番目、「神は私とともにいる」と信じることです。詩篇百十八篇六節をお読みします。

『主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。』

神が私と共にいると信じるとき、恐れは消え始めます。誰が私と共にいるのか?なぜ私には恐れがないのか?なぜなら神さまが私と共にいてくださるからです!いつ私に恐れがあるのでしょう?神が私と共にいないと信じるときです。
さて、問題は神があなたと共にいるのか、いないのか、ではないのです。なぜなら聖書には、神はいつもあなたと共にあると書いてあるからです。あなたがその存在を認めても、認めなくても、受け入れても、受け入れなくても、神はあなたと共にいるのです!
では、私たちがするべきことは何でしょうか?神が私と共にいることを信じること、ただ日曜日にだけ、教会に来る時だけ神さまが共にいるのではなく、また礼拝を守っている時にだけ神さまが一緒にいるということではなくて、毎日神さまが私と共にいるということを信じることです。神が私と共にいてくださるのは、良い時だけではなく、悪い時にもそうであることを信じることです。
ですからこう言いましょう。「私は神さまが共におられることを信じます!」と。いつですか?いつもです!どこでですか?どこにいてもです!主は私と共におられます!

新約聖書の中でパウロはこう言っています。ローマ書八章三十一節、

『では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。』

もし神があなたの味方であるなら、だれが敵対しても大したことではないのです。もし神があなたと共におられるなら、安心で安全でいられるのです。あなたは今問題の中にいますが、あなたの「父」である神が共にいてくださいます。あなたに敵がいますが、父である神が共にいてくださいます。あなたには病気がありますが、あなたの父である神は共にいてくださいます。大きな危機に遭遇しているかもしれません。しかし父である神が、あなたと共におられます。今まで彼はあなたを見放さず、見捨てることはありませんでした。良い時も、悪い時もあなたと一緒にいてくださったのです。

一つの聖書箇所を読みたいと思います。後でこのメッセージをすべて忘れても構いませんが、次のこのみことばだけは覚えていってください。イザヤ書四十一章十節、

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』

主はあなたと共におられます。それが三番目のポイントです。

それでは最後のポイントについてお話しします。「神の愛の中にとどまる」ことです。二つのみことばを読みたいと思います。第一ヨハネ四章十二節、

『いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。』

そして第一ヨハネ四章十八節、

『愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。』

この四番目のポイントは、「神の愛の中にとどまる」ということです。今お読みした箇所にも、「全き愛は恐れを締め出す」と書いてあります。愛が多ければ多いほど、恐れは少なくなります。愛と恐れの関係は、水と油の関係と同じです。お互いに混ざり合うことはありません。全き愛、完全な愛とは、あなたの最大の恐れを打ち消します。
注意して見ていただきたいのですが、ここにとても面白いことが書かれています。十二節で、ヨハネはこう言っています。「もしあなた方が愛のうちに留まりたいのなら、お互いに愛し合いなさい。」と言っています。私たちがお互いに愛し合う時に、神の愛というのが私たちの中で完全なものとさせてくださるということです。そして十八節にいくと、その完全な愛、全き愛というのは、すべての恐れを取り除くと書いてあります。

次のことは本当なのですが、つまり、私が持っていないものを私は与えることができません。他の言葉で言い換えるならば、私は愛を与えることができません。初めに私が愛を受けなければ。
神の愛があればあるほど、敵の恐れは小さくなっていきます。死の恐れも小さくなっていきます。病気の恐れも小さくなっていきます。将来への恐れも小さくなっていきます。しかし神の愛が小さくなればなるほど、恐れは増します。将来についての恐れは大きくなり、死に対して、病気に対して、失敗に対して、貧困に対して大きくなっていきます。
ですから私たちは決心しなければなりません。私たちが神の愛に満たされること、それを決心しなければなりません。なぜなら私が神の愛をたくさん持っていればいるほど、私がその神さまの愛に満たされていればいるほど、自分の人生に良いものが来ることを確信するからです。
ですから、恐れに打ち勝つためにまず必要なことは、神の愛を受けとることです。イエスの愛を受けとることです。それも実際に受けとることが必要です。頭の中で分かるというだけではいけません。自分の人生の中に、それを実際に受け取ることが必要です。私の人生が神さまの愛によって満たされることが必要です。ですから覚えてください。あなたの恐れがあるか、まず確認してください。そして神に信頼してください。神さまの中にとどまってください。そしてあなたの神さまへの信仰を奪おうとするものが何であるかを知ってください。そして神さまの愛の中にとどまり続けてください。神さまが私たちを助けて恐れから解放してくださいますように。
私はいつもこう言います。「神はあなたができることを、あなたにしない」ということです。「主よ、私から恐れを取ってください。」と祈りますが、今ダビデの例を参考に学びました。まず私がしなければならないことをまずすることが必要です。まずそれをしてから、神さまに「私の恐れから解放してください。」と祈ることができます。
それではお祈りしたいと思います。

主よ、今日この朝のみことばを感謝します。まず何よりも私の罪を赦してください。あなたの尊い血潮によってきよめてください。今日あなたの赦しを受け取ります。あなたの愛を受け取ります。恵みを受け取ります。
私には恐れがあることを認めます。しかしあなたを信頼することを今日決心します。もしも恐れに襲われる時が来たとしたら、あなたを賛美できますように。小さい子どものようにあなたに手をあげることができますように。あなたは私を抱きかかえてくださることを信じます。私を強めてくださることを信じます。あなたのみ腕の中に平安であることを信じます。それ以上の恐れがこないことを信じます。
イエスさまの名前によってお願いします。あなたが私たちと共にいるという確信を与えてください。私たちが遭遇するいろんな状況は関係ありません。私たちはあなたの約束を持っています。あなたはこう言われました。「わたしはあなたと共にこの世の終わりまでずっといる。」と言ってくださいました。「あなたを見捨てず、見放さない。」と言ってくださいました。私があなたと共にいると分かる時に、私の恐れは消えていきます。
享子さんの手術のこともお願いします。もちろん恐れがあります。私たちはそれを認めます。しかしあなたに信頼することを選びます。どうぞお医者さんの手をあなたが導いてください。そしてすべてのことが良い方向にいくことを信じます。あなたの平安を順先生の上に与えてください。すべての教会員にも与えてください。なぜなら私たちの信頼はあなたにあるからです。私たちがあなたの愛の中にとどまり続けることができるようにしてください。もっとあなたの愛を与えてください。私たちの人生の中に。そのようにして私たちの恐れを小さくすることができます。なぜなら「完全な愛がすべての恐れを締め出す。」と書いてあるからです。
主よ、あなたに感謝します。信仰によって生きていける新しい機会を感謝します。イエスさまの名前によって祈ります。アーメン