「大逆転!〜神はすべてのことを働かせて益としてくださる〜」

もう一つ別のお証しをさせていただきます。ご本人と奥様に先週の日曜日にご了解頂いたので、今日お証しとお祈りをお願いしたいと思います。いつも私たちとともに礼拝を守っておられますN兄ですが、九月の中旬。朝四十度近くの高熱が出て動けず、救急車を呼び、救急搬送されました。その事を緊急メールで知り、びっくりしました。この時期高熱と聞くと新型コロナウィルスかと思い、真剣にお祈りさせて頂きました。すると新城市民病院に搬送されたと聞き、新城市民病院に搬送されたなら新型コロナウィルスじゃないと思い、少し安堵しましたが、続けてお祈りしておりました。するとお昼ぐらいに、再度メールがあり、もう熱も下がり、ご自宅にお帰りになった。そしてお食事もできるようになたということで感謝しました。しかしそのメールの中で、何の熱であったかわかりませんが、検査の結果胸部に動脈瘤。あと胆石が見つかったという内容でした。良かったと思うとともに、胸部の動脈瘤と胆石のためにお祈りさせていただきました。先日N兄宅をご訪問させていただいた時、いまだになんで高熱が出たのかわからないとおっしゃっておられました。そして搬送されて、以前から動脈瘤の存在は知っていたそうですが、今回すぐに手術されたほうが良いとわかり、先週の水曜日に豊橋市にある病院に入院し、木曜日に手術されました。是非皆さん、早く回復されますようにお祈りください。なぜ高熱が出たかというと原因がわからないそうです。しかし主は高熱を出させて、N兄とともにいるみ霊がとりなして下さり、その高熱が益となり胸部の動脈瘤を見つけ出し、手術に導いて下さった。神がすべてのことを働かせて益としてくださったことを、私たちは知ることができました。またN兄と同じように手術した事により、N兄の苦しみゃ痛みがわかり祈ることができ、ほんの少しですが手術に関してご相談を伺い助言させていただくことができました。このことも益となりました。そして手術とその後の回復のために一緒にお祈りすることができました。感謝しました。
主が共にいて私たちを守ってくださる。全能なる神がともにいて下さり、その神様ご自身が私たちの全く知らないときに、既にとりなしていて下さっていた。すべての事を益としてくださったのです。今日、N兄や、また私だけでなく、兄姉皆さんお一人お一人に当てはまっており、あなたが及びつかないことも、主は全てご存知で私のためにとりなしていて下さっている、私とあなたのために、全能なる主であり、勝利者である、み霊さまご自身がとりなしてくださっている特権を感謝します。

イザヤ書三十五章一節・二節をお読みしたいと思います。

『荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルや シャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。』

とあります。この一節の所に、『荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、』とありますが私はこれを読んで、私の人生と照らし合わせて考えてみました。荒野とか砂漠、荒地は、ここ二年間の自分のようであったと考えました。「砂漠、あの十月の二年前の脳梗塞の時と一年前の手術の時は辛かった…まさに砂漠のような生き物も植物も生えない、乾ききった場所、荒れ果てた高地のようでした。これからどうなるのだろうと心配し、初めて体にメスを入れる。どうなるのだろうと心配ばかりでした。しかし私のような者も、今このみことばにあるように
『荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、』

私に主は愛を与え、主が導いてくださったんだなぁと思います。以前、二〇一五年だったと思いますが、インターネットニュースで見たことを思い出します。それは何かというと、南米のチリ。細長い国ですが、そのチリの真ん中の辺にありますアタカマ砂漠という砂漠の出来事でした。
<南アメリカのチリ画像>

<アタカマ砂漠の場所画像>

平均標高が二千メートルほどの場所です。そこは世界で最も降水量が少ない場所だそうです。そしてアタカマ砂漠に続く道は死の道と呼ばれていると言われています。

<死の谷画像>

「死の谷」というのが有名で、ゴツゴツとした岩と砂漠の世界。世界でもここでしか見られない不思議な風景です。もう一つ、「月の谷」という有名なところがあります。

<月の谷>

あたかも月面を思わせる岩だらけの壮大な風景が目の前に広がり。岩肌は深く侵食され連なり、遠くには美しい山々が望むことができる場所があれます。綺麗に見える場所ですが、なんとその地域は、年間で多い所で四十ミリ、一番少ない所では年間で十ミリの降水量だそうです。たった四センチ、たった一センチしか年間雨が降らない、そんな場所です。気温は朝は砂漠ですのでものすごく寒いし、昼間は暑くて四十度、五十度になるような、過酷な場所です。全く人も獣も住むことのできない場所です。
今世界は地球温暖化で異常気象が問題となっています。至る所で水害があり、日本や東南アジアやヨーロッパでは、エルニーニョ現象で、チリ沖の海水温が周期的に上昇していることが背景にあり,大雨が降り、考えることもできない水害が起こっています。また逆に異常なほど高温となり乾燥しきって山火事が起こり、多くの家や樹木が燃える映像を目にします。その影響がアタカマ砂漠にもあり、年間十ミリから四十ミリしか雨の降らない乾いたアタカマ山脈に、なんとあの荒れ果てた場所に霧が発生して、そして雨が降り始めたというのです。そしてなんと雨が降った後、どんなことが起こったかというと、私はそのネットのニュースを見てびっくりしました。

このようになりました。先ほど見た荒れ果てた地がこんな花畑がなりました。

いろんな色の花が咲き乱れ、一面に花が咲き乱れたのです。私たちにとって厄介な異常気象。そのことによってもたらされた出来事です。ありえないことですが、あの乾ききった、荒れ果てたアタカマ砂漠に雨が降り、花畑になりました。目には見えない花の種は、雨が降らずに、地の中で死んでしまったかのようでしたが、確かに生き続けており、雨が降ったことにより、誰もが息をのむような綺麗な花畑になりました。奇跡が生まれたのです。
『砂漠が小躍りし、』とありましたけども、本当に素晴らしい奇跡をネットニュースで目の当たりにし、みことばを思い出しました。イザヤ書三十五章一節・二節

『荒野と砂漠は喜び、荒れ地は喜び躍り、サフランのように花を咲かせる。盛んに花を咲かせ、歓喜して歌う。これに、レバノンの栄光と、カルメルや シャロンの威光が授けられるので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。』

また詩篇百七篇三十五節に、

『主は荒野を水のある沢に、砂漠の地を水のわき上がる所に変え、』

またイザヤ書三十二章十五節に、

『しかし、ついには、上から霊が私たちに注がれ、荒野が果樹園となり、果樹園が森とみなされるようになる。』

あの砂漠が、雨が降ったことによって花が一度に咲いた。またあの砂漠が果樹園となり森とみなされるようになった。雨は何を例えているかというと、聖霊さまですよね。聖霊さまは雨に例えられているのですが、本当に聖霊が臨んだら、死んだような土地に命が、死んでいてもう諦めかけていたようなものが、花の種が全部芽を吹き出して、一斉に花を咲かせるような奇跡を起こしたわけです。ヨエル書二章二十三節

『シオンの子らよ。あなたがたの神、主にあって、楽しみ喜べ。主は、あなたがたを義とするために、初めの雨を賜り、大雨を降らせ、前のように、初めの雨と後の雨とを降らせてくださるからだ。』

聖霊さまによって初めの雨と後の雨とを降らせてくださるというのです。イザヤ書三十五章三節・四節、

『弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ。恐れるな。見よ。あなたがたの神が、復讐が、神の報いがやって来る。神は来て、あなたがたを救われる。」』

とあります。「弱った手」と「衰えたひざ」とは、失望落胆を意味しています。歩こうにも歩けない意気消沈している姿です。その人たちに「手とひざをしっかりさせよ。」と励ましています。弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。「大丈夫だよ!」と主が声をかけてくださっている。励ましていることばです。そして『足の萎えた者は鹿のように飛び跳ね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れるからだ。』と書いてあります。これは「もう大丈夫だ。主がおられるから大丈夫だ。あなたは心配しないでいい。」今ここに、足の萎えた者は鹿のように飛び跳ねる。口のきけない者、ろうあ者の方々は喜び歌う。荒野に水が湧き出し、荒れ地に川が流れる。そんな状況にさせてくださるというのです。私も大変な所を通りましたが、しかし今命が与えられて、皆さんの前でご奉仕させていただける事を心から感謝します。聖霊が働かれると癒やしが確かに起こされます。私も癒やされたように、また滝元享子先生のことをいつも滝元順牧師から報告いただいていますが、享子先生のことは、ただ神さまの不思議な力、癒やししか考えられません。私たちの神は確かに生きていて、私たちの祈りにこたえてくださる方です。ただ主に栄光をお返しします。どう説明しても、主の奇跡としか言えないわけです。主は生きています。

私も何年も前の事ですが、メッセージの録音のために東京に出かけたことがあります。その集会は韓国から来られた先生が癒やしの集会をされたのです。メッセージ後、先生は、ろうあ者の方に舞台に上がるように呼ばれました。そしてその先生が一人一人のためにお祈りました。そのあと先生が彼らの後ろから「ハレルヤ」と小さい声で、耳元で囁いたのです。そうしたら今まで聞いたことのない音が耳に飛び込んできてびっくりして、先生について「ハレルヤ」と拙い声でしたけども言って、涙を流して喜んでいました。またその集会は、ビルの十階くらいのホールで開催していたのですが、私はエレベーターで会場に行こうとした時、ある方が寝たきりの病人をベッドに寝かせたまま、会場に連れていかれました。正直私は「大変な人を連れてきたなぁ。」と思いました。そんな思いの中で、その方を見ていましたが、集会の中で先生がその方を前に呼びました。だから付き添いの人がベッドのままで前に連れて出てきました。先生がその方のために祈り、先生がベッドから起き上がるように言い、その方の手を引っ張り起こしました。ベットに座らせて、そしてなんと先生が手を取って起こすと、その方も立ちあがりました。その人はうれし涙を浮かべて、皆の前で立ちあがり、先生が手を持って歩かせたのです。すると何と歩いたのです。今度はその人の手を離して、歩きなさいと宣言しました。するとその方はゆっくりでしたが、よろよろとしながら歩いたのです。今まで立ちあがったことのない人が立ちあがり歩いたのを見て、とても驚きました。会衆一同が大きい拍手で包まれた集会となりました。その時の主は今も同じ主です。
この教会にも確かに今、癒やしのみわざを現してくださっておりますけれども、今日、私たちは信じたいと思います。今日、あなたも信仰を持って天を見上げてください。あなたの気づかない所までも、み霊がとりなしていてくださるのです。そしてすべての事を益として下さるのです。
み霊はみこころに従って聖徒のためにとりなしてくださる。今日、あなたのために一番心配して、十字架にかかり、そしてあなたの名前を呼んで、あなたのために十字架にかかって滅んでくださった神さま。そして滅んだだけでなく、あなたのために死の力を打ち破られて、三日目によみがえってくださった神さま。今日その神がこの会堂「特殊空間」の真ん中にいらっしゃることを信じましょう。
あなたが今あるのは、主の計画の中で生かされていることを知ってください。そして絶対に私たちは敗北で終わるのではない。私たちの神はどういう方ですか。回復と再建、いつも私たちは祈って、告白していますけども、今は最悪の状況であっても、大逆転を与えて下さる。
今どんな状況であったとしても、主はあなたを心配して、あなたのためにとりなしてくださっていることを覚えてください。
最後に今まで、新型コロナウィルスでこの日本は苦しんできました。しかし不思議です。今感染者がとても少なくなって来ています。なんでこんなに少なくなったんだろうか?
専門科さえ分からないと言っています。でも私たちは分かっています。主が動いてくださったからです。いつもここで宣言しています。その宣言を主が聞いてくださり、み霊ご自身がこの日本の新型コロナウィルスのために、とりなしてくださった、そのことの結果のゆえにです。
こういう時にこそ、さらに宣言して、完璧な終息を私たちはいただけるように、何の制限もいらない生活となるように、更に宣言したいと思います。