『クリスマス礼拝2021 Joy to the world! 世界よ。喜べ!』

しかし「もう一つ、スペシャルな道があります!」と召天式の時にも話しました。それは「永遠のいのちの中で家族とともに幸せに生きる道」です。
もしもそのような道があったら、宗教は別にして、その道を選びたいと思いませんか?先に去っていった、おじいちゃん、おばあちゃん、父ちゃんも、母ちゃんも、全員集合する、死も苦しみも悲しみもない、永遠に暮らせる世界があったら、私は、絶対にその道を選びます。
皆さんも同じだと思います。その道は何かと言いますと、ヨハネの福音書十四章六節、

『イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』

それは「イエスさまの道」です。イエスさまを救い主として信じ、受け入れるならば、その道を歩めるのです。イエスさまと共に、先に去っていった家族・親族と共に、主をほめたたえ、永遠に賛美する道があるのです。
教会はどうして一生懸命、クリスマス集会を開催するのか、それはその道が実際にあるからです。

十二月二十五日は、イエスさまが生まれた日ではありません。イエスさまがお生まれになったのは、九月の終わり、仮庵の祭りの頃だと前回お話しさせていただきました。十二月二十五日は、ローマ帝国が権力で決めた日です。
ゆえに十二月は、イエスさまのお生まれを「記念する月」として、私たちはお祝いします。

実際のイエスさまの誕生日に、どんなことが起こったのかが、先ほど読んでいただいた箇所に出ていました。羊飼いたちが夜番をしていたら、神の栄光が現れて、『恐れることはありません。見なさい。私はこの民全体に与えられる大きな喜びを告げ知らせます。』と、喜びの知らせが天使たちによって告げられたのです。
喜びの知らせとは、「人類に救われる道がありますよ!」という知らせでした。

先週金曜日に、リバイバルミッションの「すりだぶ」という若者の集会を視聴したのですが、新城に長く滞在していた佐々木歩君、今は歩先生になりましたけれど、彼がメッセージを語っていました。なかなかスマートに語っていました。人は成長するもんだなぁと感心したのですが、彼はこんなふうに語っていました。
イエスさまは神であったのに、なぜ人の姿を取ってこの地上に来なければならなかったのか?について話していました。
もしも私たちがアリの行列を見て、アリたちがそのまま進んでいくと、その先に蟻地獄があるのを見つけて、アリに、「おーい!ありさん!その道の先に蟻地獄があるよ!気をつけろ!」と叫んでも通じないと言うのです。もしもアリに危険性を伝えたいのなら、アリに変身して、アリの世界に行き、アリのありのままの生活を体験したら、「その道の先に、ウスバカゲロウが罠を仕掛けてるから、行ってはいけない!」と話すことができる。そうしたらアリは助かる!と話していました。

イエスさまは神ご自身ですが、仮の宿、肉体をとって地上に来てくださったのです。私たちと同じ肉体をとって、人類と同じ言語で、私たちに救いの道と、何が危険なのかについて教えて下さったのです。

実は先ほど、死後、いくつか道があるように話しましたが、実際は、死後は「二つの道しかない」というのが、聖書が教えるところです。
お迎えが来ると、よく言いますが、本当にお迎えが来るのです。どういうお迎えが来るのかと言うと、我々が地上から出国したら、二つの国からお迎えが来ます。それは悪魔の国と神の国です。死後の世界は、この二つしかないのです。
私たちが外国に行く時、必ず目的国の許可、ビザが必要です。世界中どこでも、他国に入国する場合は相手国の承認がなかったら、決して入ることはでききせん。

生まれながらの人間は、悪魔の国のパスポートしか持っていません。柿でも種を蒔いたら、渋柿しか出て来ないように、人は渋柿で生まれるのです。そのまま死後の世界を体験すれば、悪魔の国に入らなければなりません。
しかしイエス・キリストを救い主とする時、パスポートが変えられるのです。神の国に入国できる許可書をいただくことができるのです。その結果、私たちは永遠のいのちの中で生きることができるのです。神の国のパスポートとビザを受け取るには、教会しかありません。
今日もしもイエス・キリストを自分の神としておられない方は、是非とも、パスポートを書き換えていただきたいです。
ある人は、私が語っていることを、「そんなこと、本当にあるのかな?」と疑っているかもしれません。しかしやがてその真偽を確認できる日が来ます。それも百年以内に確認できますから、楽しみにしてください。
イエスさまを救い主として受け入れていれば、喜びの知らせ、神の国に入ることができます。やがてイエスさまは地上に戻って来られます。この地が天国となるというのが、聖書の結論です。
イエス・キリストを救い主として信じる時、永遠が変わるのです。何はなくとも、パスポートを変えていただきたいですね。

イエスさまが来られたのは、悪魔の奴隷となっている者たちを解放するためでした。先ほどグロリアシンガーズで、ジョイトゥザワールドというクリスマスソングを恥ずかしながら、アカペラで歌わせていただきました。一般に歌われている「もろびとこぞりて」の二番の歌詞をご存知でしょうか。
二番は、

悪魔のひとやを打ち砕きて
とりこをはなつと 主は来ませり
主は来ませり 主は
主は 来ませり

ここに「悪魔のひとや」という言葉があります。原曲は英語ですが、「ひとや」をひらがなで訳したので、その後、いろいろと憶測を呼んだようです。皆さんはどう思いますか?
ひとやを一夜、悪魔と一夜を過ごしたくないですよね。そう思っている人も多いらしいです。
でも、悪魔のひとやを、「一本の矢」と理解している人はかなり多いようです。悪魔が矢を射て、それに刺さるけれど、イエスさまが矢をボキッと折ってくれる・・。
「ひとや」とは、どのような意味でしょうか。私も分からなかったです。私も「ひとや」は「一本の矢」と思っていました。しかし調べてみました。そうすると、「ひとや」とは、「人屋」すなわち、「牢獄」のことらしいのです。悪魔のひとやとは、悪魔の牢獄の中に入れられている人類を救い出すために、主は来てくださったという意味なのです。
アダムとエバが罪を犯したゆえに、全人類が悪魔のひとやの中に入れられてしまったのです。しかしそれを打ち壊すために、イエスさまは来てくださった!のです。

先ほども『主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。』ということばを引用させていただきました。それは使徒の働き十六章にあります。人屋を見張る監守の家族が救われた記録です。その背景には、霊的戦いがあります。パウロとシラスが捕えられ、牢屋に入れられ、明日はもしかしたら処刑されるかもしれないという危機の中で、二人は賛美したのです。
その時、大地震が起こって、ひとやが崩れて、彼らは助け出されたのです。
この箇所をよく調べると、悪魔はひとやを持っていることがわかります。
難しくなってしまうので、あまり奥に入りませんが、ピリピという街には、「ピュトンとアポロン」というギリシャ神話の神々が祀られていました。
パウロは最初、ピュトンの霊を追い出しました。これは「占いの霊」と訳されています。本来、原語で「ピュトンの霊、プネウマ・ピュトン」となっています。ピュトンを追い出したら、上位にいるのはアポロンです。霊的戦いが、下っ端をつついたところから始まりましたから、彼らは牢屋に入れられてしまったのです。
しかし彼らがこの牢獄で賛美した時、アポロンはそもそも音楽神でしたから、賛美によって倒されたのです。アポロンは悪しき音楽を通して、占いの霊を呼ぶ音楽神でした。しかし牢獄の中での賛美の結果、ひとやが壊れたのです。
「賛美の歌を歌っていた」とは、原語では「詩篇を歌っていた」となっています。
さて、詩篇のどの箇所を彼らは歌っていたのでしょうか。それは、詩篇一四九篇に基づいていると思われます。一四九篇に、「神への称賛」という言葉があります。「称賛」とは、「最高の賛美」を意味します。
また「最高の賛美」は、どこに現れるのか。五節に、

『聖徒たちは栄光の中で喜び勇め。おのれの床の上で、高らかに歌え。』

とあります。なんと「床の上で最高の賛美が生まれる」のです。二人は人屋の床の上で賛美していたのです。それは最高の賛美を産みだしたのです。その結果、詩篇一四九篇に記されているように、悪しき貴族たちが打ち砕かれたわけです。
そして「最高の賛美」とは、具体的には何を表すのか。それは「詩篇一四八篇」です。その賛美は、「天にあるものも、地にあるものも全て主をほめたたえよ!」という「被造物全体の賛美」を意味します。

先ほど「Joy to the world」という賛美をさせていただきました。また、それを今日のメッセージ・タイトルとさせていただきました。
ここには、英語がよくできる方や、ネイティブの方もおられますから分かると思いますが、Joy to the worldを作詞した人は、相当、聖書の真理に明るい人であったに違いありません。
主が来てくださったのは、ただ人だけでなく、天も地も、被造物全体が喜び歌うために来られたからです。
“Let earth receive her King,”とあります。私はなぜ、ここに「her」が入っているのか疑問に思いました。「her」は「彼女の」という意味です。こんな所に女性が入っていて、「この女は誰だ?」と思ったからです。また、“the Lord is come!”とは、普通だったら「has」じゃないかとか、いろいろ疑問を持って調べてみました。
これは古い表現であるらしいです。「her」は何を指しているかのと言うと、ラテン語系には名詞に性別があります。「her」は「earth」、地球のことを指しているのです。イエスさまは、ただ人間のためだけに来たのではなくて、被造物全体の救いのために来てくださったのです。
人が罪を犯して、サタンの牢獄に入った時、人類に任されていた被造物全体も牢獄に入れられたのです。しかしそれらすべてを解放するために、主は来てくださったのです。
ゆえに、クリスマスは「大きな喜び」なのです。人間だけでなく、一緒に飼われていた羊も、天の星々も、地のどん底にあるものも、全てにとって、良い知らせであるのです。

今日、私たちはイエス・キリストの誕生を記念し、祝っています。私たちを永遠のいのちに入れてくださるだけでなく、神が造られた被造物全体をひとやから解放するために、主は来てくださったのです。このことを心に留めて、今年はクリスマスをお祝いしたいと願っています。
もしもまだ「イエスさまを自分の救い主として、神として信じていない。信じきっていない。」という方がおられたら、是非とも、イエスさまを救い主として受け入れてください。これは宗教ではありません。事実です。
Mさんがイエスさまを信じられたことによって、家族全員が幸せになりました。同様に、主を信じる者たちの未来も明るいはずです。
最後にお祈りをして、私のメッセージに代えさせていただきます。

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝いたします。今日はイエスさまの誕生を記念するクリスマス集会を持つことができて心から感謝します。私たちは永遠のいのちをいただきたいと願っています。どうか、私たちの所に来てください。

今、お祈りの途中ですけれど、私の後についてお祈りして下さい。では祈りましょう。

イエスさま、今、私の心に、人生に、生まれてください。来てください。永遠のいのちをお与えください。イエスさまを私の神として信じ、従っていきます。私だけでなく、家族全員が救われ、幸せになりますように。イエスさまの名前でお祈りします。アーメン。

イエスさまに大きな拍手をおささげいたしましょう。