「生きているクリスチャンとして実を結ぼう」

しかし、ガラテヤ六章九節には、

『善を行なうのに飽いてはいけません。失望せずにいれば、時期が来て、刈り取ることになります。』

 

とあります。これからも戦いが続いていきます。その中で、ここにあるように、『失望せずに』神さまのために、リバイバルのために働き続け、誰かのために祈り、誰かのために手を差し伸べ続けるなら、必ず主が働いてくださり、収穫することができるのです。それでも、挫折しそうな時もあるかもしれません。「私は弱い。もうだめだ」と思う時があるかもしれません。教会のスタッフは、皆さん一人ひとりのために祈っていますので、もし必要な時にはぜひご連絡ください。皆さんが成長し、喜んで主に仕えていく、神さまはそのことを願っておられます。

 

今日のみことばは、『神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、』ということばから始まります。まず私たちが種を蒔くことが大切です。そして、種は芽を出して育つけれど、それは『どのようにしてか、人は知りません』。しかし、『地は人手によらず実をならせる』のだと教え、神さまが成長させてくださるということを学びました。次には、『実が熟すると、人はすぐにかまを入れます。収穫の時が来たからです』とあるように、多くの収穫があることも知りました。

 

以前、何度か話したことがあるのですが、我が家には甘夏みかんの木が二本あります。何も手入れはしていないのですが、多い時には一本の木に三百個くらい実ります。それを見ながら、「何もしないのによく実ができるなぁ」と思うのですが、神さまが成長させてくださっているのだなぁと感謝しています。

今その木がどういう状態かというと、丁度ピンポン玉ぐらいの大きさになっています。写真をお見せします。

 もちろんまだ収穫できるわけではないですけど、緑色の実がたくさんあると、「またたくさん収穫できるな!」と期待ができます。これからだんだんと大きくなって色づいていくわけですが、もしこの時期に実が全くついていなかったら、「今年は収穫できないな」とわかるのです。

しかし、その実を収穫しなかったらどうでしょう。うちでは、いつもは一月中旬~下旬くらいに収穫するのですが、今年は、取り損ねて二月中旬頃になってしまいました。それでも十分美味しかったのですが、中には水分が抜けて、実がスカスカのものもいくつかありました。やはり、丁度いい時に収穫するということも大事です。そして、時が満ちて熟した実が目の前にあるなら、すぐに鎌を入れて収穫するべきです。そのために、いつも主の前に備えていることも大切です。

 

さて、私たちクリスチャンにとっての「実」というのは何でしょうか。

 

『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。』(ガラテヤ人への手紙五章二十二〜二十三節)

 

実がなるプロセスは、種を地に蒔き、芽が出て成長して大きくなり、木になり、実がつき、栄養を吸ってその実が大きくなります。そして色づいて熟したら収穫します。私たちは主から離れることなく、いつも主につながり、主から栄養をいただいて御霊の実を実らせるものとなりたいと思います。御霊の実を自分の目で確かめることはできないかもしれませんが、皆さん一人ひとりの祈り、伝道、奉仕、賛美することなど、神さまや他の人のために蒔いた良い種は、今はまだつぼみであっても、小さな実であっても、主が成長させてくださり収穫する時が必ず来るという信仰を持って進んでまいりたいと思います。

 

 

お祈りします。

愛する父なる神さま、み名をあがめます。今日まで一人ひとりが守られて、このような恵みの中にあることを心から感謝します。今はまだ本当に大変な中にあります。新型コロナウイルスもなかなか終息に向かっていないような状況にあります。またいろいろな所で水害が起きているような状況の中にありますけども、主はそのこともすべてご存じです。私たちをお守りください。

今日は、蒔いてきた種は必ず成長し、必ず実をならせることのできるという神さまの法則を学びました。私たち一人ひとりがなお喜んで主に仕え、良い地に良い種を蒔くことができますように。そして主によって成長させていただき、実を結び、主のみこころを現すことができるように導いてください。

今日までの恵みを心から感謝します。今日礼拝に参加された方々を、またネットで参加されているお一人おひとりを豊かに祝福してください。感謝して主のみ名によってお祈りします。アーメン。