「70年が満ちた2021 回復と再建の年! 〜聖霊を求め、祈り続けよう!〜 もしおそくなっても、それを待て。必ず来る。遅れることはない!」

教会にとって「五旬節」とは、教会の誕生日ですが、五旬節は、本来、ユダヤ人たちの祭りの日です。ユダヤの祭り、五旬節の日に聖霊が注がれたという記録です。ヘブル語だと「シャブオット」と呼ばれます。それはユダヤの三大祭りの一つです。
出エジプト記三十四章二十二節に、「七週の祭り」が出てきますが、これがペンテコステです。小麦の初穂の祭りを行わなければならないと規定されています。それが本来のペンテコステです。
ただし、聖書にははっきりとした日付が決められているわけではありません。ですからかつて、賢者ヒレルとサドカイ派の間で、五旬節を巡って論争があったと記録が残っているそうです。
今日の教会は、イエスさまがよみがえられて五十日後を「五旬節」と決めているのですが、実際は、イエスさま時代の五旬節の日程は、はっきりしてはいないのです。

新約聖書で起った事柄は、旧約聖書にその影があります。イエスさまの十字架刑も「過ぎ越しの祭り」という、子羊が屠られる日でした。その日に合わせて、主は十字架について死なれました。そして「初穂の祭り」の日に、よみがえられました。それはイエスさまがよみがえりの初穂!という意味でした。
それならば、五旬節に関しても、旧約聖書に影があり、そのテーマに則り、聖霊さまは来てくださったに違いありません。ゆえに五旬節の日程をしっかりと特定することは大変重要です。
レビ記二十三章を見ますと、イスラエルが守らなければならない、七つの祭りが出て来ます。その一つで、唯一、日付が未定となっているのが「七週の祭り、五旬節」なのです。もしも五旬節の日程を聖書から特定できたら、そこに宝が隠されているはずです。聖霊は、探し、求め、たたいて、初めて訪れて下さるお方がからです。
旧約聖書に隠された、聖霊降臨の影を見つけるならば、新約聖書の記述もさらなる深い意味と奥義を発見できるはずです。

イエスさまがよみがえられた「初穂の祭り」とは、大麦の初穂が出てくる頃と以前、お話しました。ルツ記の物語は大麦の収穫期した。しかし五旬節は、「小麦の収穫祭」です。イエスさまのよみがえりは「大麦」、聖霊降臨は「小麦」の収穫祭と対応しています。
そしてもう一つ、五旬節は、イスラエルにとっては、モーセが主から律法を授かった記念日です。ユダヤ教徒たちは、イエスをメシアだとは信じていません。ゆえに聖霊が注がれるとか、教会の誕生日だとかは信じていません。五旬節とは、小麦の収穫と共に、モーセが主から律法を授かった記念日として、祝っています。一般人は、大麦も小麦もほとんど見分けがつきません。それで教会は大麦の収穫祭から五十日を数えて五旬節の日程を決めてしまいました。しかしそれは間違いです。聖書を詳しく調べて、情報を組み合わせ、パズルを組み立てると日程がわかります。

出エジプト記の中で、エジプトに十の災いが下り、その結果、ヘブル民族は脱出することができたのですが、七番目の災いはエジプトの地に雹が降って作物が全滅したという災いでした。そこにこんな記録があります。九章三十一節から見ますと、

『亜麻と大麦は打ち倒されていた。大麦は穂を出し、亜麻はつぼみをつけていたからである。しかし、小麦と裸麦は打ち倒されていなかった。これらは実るのが遅いからである。』

ここに記録されているように、小麦は大麦より、ずっと収穫期が遅いわけです。大麦も小麦も同じように考えますが、五旬節が「小麦の収穫祭」と重なっているならば、五旬節は我々が考えている日程とは異なることになります。イエスさま復活日は、大麦の初穂の祭りです。小麦はそれより、更に遅れる事になります。

さらにもう一つ、モーセがシナイ山において律法をもらった記念日と重なるならば、いつ、モーセが律法を神さまから受け取ったのか、その日を特定できるならば、その日が五旬節の日となるわけです。
では、そんな記録は聖書にあるのでしょうか。実はちゃんと記録されています。それは太陰暦によるユダヤ暦を理解すると、日程が分かって来ます。
私たちは現在、太陽暦の中で五月を過ごしていますが、ユダヤ暦で言いますと、「第三の月」です。ニサンの月、イヤルの月、そして「シバンの月」となります。そして今日はシバンの月十二日になります。
聖書の暦が分かると、各月に神さまが用意されているテーマが分かります。月替わりランチメニューみたいに、神さまは各月にテーマを用意しておられるのです。
シバンの月は、どのようなテーマが用意されているのかと言うと、二つの祝福を紹介します。よく覚えておいてくださいね。
一つはシバンの月にイスラエルが、エジプトから完全に解放され、シナイの荒野に入りました。イスラエルは紅海が割れて、エジプトを脱出したのですが、当時の大国エジプトの勢力は強くて、イスラエルはパロの軍勢の追撃におびえていました。しかしシナイの荒野に入って初めて、安心できたのです。それがシバンの月でした。
ユダの王、アサ王様の時代に、シバンの月に集まって、ただ一筋に主に感謝し、大きな祝福と安息を受けたと記録されています。
歴代誌第二、十五章十節、

『こうして、アサの治世の第十五年の第三の月に、彼らはエルサレムに集まった。』

十五章十四〜十五節、

『それから、彼らは、大声をあげ、喜び叫び、ラッパと角笛を吹いて、主に誓いを立てた。ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。彼らは心を尽くして誓いを立て、ただ一筋に喜んで主を慕い求め、主は彼らにご自身を示されたからである。主は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。』

これが第三の月、シバンの月でした。敵から解放された喜びを、主の前でただ一筋に賛美したのです。「ただ一筋に」という賛美がザワメキで歌われていますけれど、シバンの月に、主がご自身を彼らに示されたと言うのです。今月がチャンスです。シバンの月に、ただ一筋に、喜んで主を賛美する時、主はご自身を示されるのです。主は、周囲のものから守って彼らに安息を与えられたと記されています。この記述を現代に置き換えればどうでしょうか。
現在、新型コロナウイルスが蔓延して本当に怖いです。スーパーに買い物に行っても、前にいるおじさんがウイルス持ちじゃないか、お隣のおばさんもそうじゃないかと、また、相手もこっちのことを同じように思っているだろうと、疑心暗鬼状態です。しかし、主は、私たちを守ってくださるのです。その守りがはっきりと示されるのが、シバンの月ということです。

シバンの月は、エジプトを脱出し、イスラエルがシナイの荒野に入った記念の月です。
いつ入ったのかも記録されています。シバンの月の十五日に入ったのです。今日は十二日ですから、今週ですね。
聖書は、注意深く読まないといけないと思うのです。聖書の記述でも、訳によって違ったりします。新改訳だと、「第三の月の新月に入った」となっています。でも他訳だと、エジプトを出た日と「同じ日」に入ったと訳されています。エジプトを出たのは、過ぎ越しの翌日です。それは、第一の月十五日です。だから、シナイ野荒には、第三の月十五日に入ったことになります。満月の日に荒野に入ってきたのです。新月は一日です。真っ暗闇の中をイスラエルはシナイの荒野に入ったことになり、それはおかしいです。二週間ぐらい開きがあります。詳しく見ますと、事実は、満月の日十五日です。そこで主は、「身を聖めなさい。」と語られました。イスラエルの民はシナイ山の周りで恐ろしい体験をしました。シナイ山が唸って、火が燃えて、まさしく山に神が下りてくるのを目撃したのです。民は恐れて山に近づきませんでした。しかしモーセは、神の山、ホレブに登っていくわけです。
そこで四十日間、モーセは断食をして、神と語り合うのです。四十日後、神と契約を結び、モーセは十戒を石の板に刻んでもらって山を下ったわけです。
その間、イスラエルの民は何をしたのでしょうか。自分たちのリーダー、モーセは山に登り、四十日間も下りてこないわけです。多分、あの恐ろしい山に登り、死んでしまったに違いないと考えたはずです。それでもう一人のリーダー、アロンに言いました。「俺たちのために、エジプトからここまで上らせた神さまを作ってくれ。」と頼んだのです。金を供出して、金の子牛の偶像を作り、礼拝しようとしていたわけです。
モーセがシナイ山から下りてきた場面が記されています。出エジプト記三十二章を見ますと、アロンが、『あすは主への祭りである。』と述べています。これが後に、小麦の初穂の祭りの日程となり、モーセが律法をもらった日と重なります。しかしこの日、民たちは偶像礼拝に走り、罪を犯していました。
これらの記録をつなぎ合わせると、ニサンの月の十六日、初穂の祭りから七週間、シナイの荒野に入って七日間、聖めの三日間、四十日間のシナイ山でモーセが過ごした期間を足しますと、レビ記に規定されている「七週間と五十日」という数字が浮かび上がって来ます。これが真の五旬節の日になります。ということは、

「一般的に考えられているペンテコステの日は、主の昇天十日後だが、実際はその約六倍、六十日近く、使徒たちは祈り続けたことになる。その結果聖霊が注がれた。」

「もし遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」とハバククが語りましたが、十日間ではなかったのです。六十日間も祈り続けたことになります。六十日間祈っても手応えがなかったわけですから、失望した人も多かったはずです。「聖霊が来られるとイエスさまは言ったけど・・・」十日経っても、二十日経っても、三十日経っても、四十日、五十日、もうやめようか・・・。初め五百人ぐらいの人たちが一緒に祈り始めたと言われますが、最後は百二十人ぐらいに減ってしまったのです。六十日ならば分かります。当然のことだと思います。しかし粘り強く祈りきった人々により、聖霊が注がれたのです。

私たちも時に、祈りの答えがなくて失望したりします。どうも神さまは、「遅くなってもそれを待て。それは必ず来る。遅れることはない。」と、忍耐をもって祈り続ける事を要求されるようです。それが重要なテーマであることを、ここから学ぶことが出来ます。

五旬節が、律法の記念日であることを意識する時、まさしくペンテコステの日とシナイ山がつながっていることに気づかされます。

モーセは民が偶像礼拝をしていた姿を見て、怒って神からせっかくもらった律法の石板を壊してしまいました。そして、「罪を犯しているこの者たちに裁きを下す者たちはいないか。」という叫びに、レビ族が立ち上がったと記されています。
「レビ族はモーセの言葉通りに行った。その日のうちに約三千人が倒れた。」と記録されています。律法を受け取ったその日、三千人が死んだのです。
しかし、聖霊が注がれた日、何が起こったのでしょうか。その日、三千人ほどが弟子に加えられたのです。これは律法記念日に三千人が倒れた日の回復です。旧約聖書の影を知ると、新しいことが分かります。
ある人がこのように述べていました。

“シナイ山において、モーセが律法を授けられた日、山は揺れ、激しい風が吹き、大音響とともに火が現れた。(出エジプト記二十章十八節)
イザヤ書二章三節には、『主の教えはシオンから出る。』と預言されている。「主の教え」とは原語では律法のことであり、律法はシナイ山から出るのではなく、シオン、エルサレムで完成するという預言であった。そしてその成就が、まさに五旬節の聖霊降臨であった。”

イザヤは、「律法はエルサレムで完成する。」と預言していました。いつ完成したのでしょうか。どう努力しても超えることができなかった律法。しかし、イエスさまが十字架にかかり死んで、よみがえり、聖霊さまが来てくださったことによって、完成したのです。シオンからみ教えが出る、聖霊によるみ教えは、エルサレムから始まり、ユダヤ、サマリヤ、そして、地の果てにまで宣べ伝えられるのです。その結果として、今日、私たちは。聖霊によって礼拝を守ることができています。

影を理解しますと、ペンテコステの出来事もさらに意味深く、奥深くなってきます。使徒の働き二章一〜三節、