「70年が満ちた2021 回復と再建の年 伝道礼拝 永遠のいのちを得るために パート3」

私はホテルを予約しておいたのですが、インド人の友人が、「ホテルはもったいない。私の友人が空港の近くに住んでいるから、そこに泊めてもらおう。」と言うのです。ちょっと不安を感じたのですが、まぁいいかと思って、夜中の十二時頃に空港に着きました。そうしたら、古い車が迎えに来てくれて、それに揺られて一時間ぐらい、走ったのですが、今まで見たことのない、貧困地域に入って行きました。それまで私は何度も、ネパールとか、大変な所に寝泊まりしてきましたから、大丈夫だと思いました。しかし周囲を見ると、今まで経験したことのない光景でした。「ここは手ごわいぞ!」と思いました。「今晩は、絶対に寝れないだろう・・」と覚悟しました。どんどん不安になって行きました。

やがて鉄のゲートがあって、その地域から出ました。ただ扉一枚です。するとそこは、ものすごい富裕層の地域でした。

ある家に夜中の一時頃、到着しました。すると召使いが数人、腕にタオルを掛けて、私たちを迎えてくれました。家の中に入ったら、一人、十枚くらいづつ皿が並んでいました。これ何なんだろう?皿の整理をしているのか・・と思ったら、そうではなくて、私たちのための宴会が用意されていました。いや〜、本当にびっくりしました。しかし塀を隔てて、向こう側は貧困層でした。

 

実は、イエスさまの時代も同じような社会環境がありました。イエスさまは、誰と戦っていたのかと言うと、富裕層と繋がり、私欲を肥やしていた、宗教家たちと戦っていたのです。イエス時代のエルサレムの模型を、イスラエルに行きますと見ることができます。手前にあるのが神殿です。本来、神殿は神を礼拝し、祈りの場所でした。しかし当時、神殿は律法学者やパリサイ人、サドカイ人たちが富裕層とつるんで、貧困地域の人たちから、金銭を搾り取る場所と化していました。ですからイエスさまは、富裕層と宗教家たちに対して、激しく戦っていたわけです。

 

しかしラザロと金持ちの話では、この富裕層や宗教家たちに対しても、神の愛が示されています。なぜなら、彼らに死後、何が起こるのかという、情報が与えられているからです。

ルカの福音書十六章二十二〜二十三節、

 

『さて、この貧しい人は死んで、御使いたちによってアブラハムのふところに連れて行かれた。金持ちも死んで葬られた。その金持ちは、ハデスで苦しみながら目を上げると、アブラハムが、はるかかなたに見えた。しかも、そのふところにラザロが見えた。』

 

これは死後の世界の描写です。私たちもやがて地球から出て行かなければならないわけですが、出て行った先には、二つの領域があるようです。そして、どちらかに入るのです。ラザロはアブラハムのふところに、み使いたちによって引き上げられたのです。

しかし、金持ちはどこへ行ったのでしょうか。ハデスという苦しみの場所に落ち込んだことがわかります。

出国した後、天使と悪魔が迎えに来のたでしょう。貧乏人のラザロはみ使に携えあげられましたが、金持ちは暗闇の使いに連れられて、ゲヘナに行ったのでしょう。

金持ちは、苦しみの中から目を上げたと書かれています。そこからアブラハムに叫んでいます。どうやら死後の二つの世界は、お互いにコミュニケーションが可能みたいです。

ルカの福音書十六章二十七〜二十八節、

 

『彼は言った。『父よ。ではお願いです。ラザロを私の父の家に送ってください。私には兄弟が五人ありますが、彼らまでこんな苦しみの場所に来ることのないように、よく言い聞かせてください。』』

 

もしも私たちの先祖で、ゲヘナに行った人たちがいたとするならば、彼らは「この場所に絶対来ないように!」と叫んでいるはずです。

その選択は、生きている間にしかできません。ゆえに人生はもの凄く重要です。死後の金持ちは、「ラザロをよみがえらせてくれ!」「死後に恐ろしい世界があるから、ここには来ないように告げてくれ!」と叫びました。

しかしその願いに関して、アブラハムは、ルカの福音書十六章三十一節、

『アブラハムは彼に言った。『もしモーセと預言者との教えに耳を傾けないのなら、たといだれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』』

 

と一蹴しています。これはどういう意味でしょうか。

イエスさまの時代にはモーセと預言者たちの言葉を記した、旧約聖書がすでにありました。その中心は、やがて救い主、ヘブル語では「メシア」が地上に来て救われるという預言でした。金持ちもその事を知っていました。ましてや、律法学者や宗教家たちは、その専門家たちでした。しかし、旧約聖書の神髄である「救い主メシア」が誰なのかを、理解していなかったのです。

誰がメシアか?それがイエスさまでした。イエスさまは、旧約聖書の中に記されているメシア預言をすべて実現、実践され、証明された方でした。

しかしエルサレムの富裕層、律法学者たちは、イエスをメシアだとは認めませんでした。イエスをメシアだと認めない以上、死人がよみがえっても、彼らは絶対に信じないと言われました。

ここには、イエスさま周辺に近未来に起こる預言が含まれていました。

 

この後に、イエスさまは何をされたのでしょうか。イエスさまが十字架に付かれる前に、ベタニアに行かれました。そこにはマルタとマリアという、イエスさまが愛したファミリーが住んでいました。そして、その兄弟「ラザロ」をよみがえらせたのです。イエスさまが先に語られた、ラザロと金持ちのラザロと同名のラザロを生き返らせたのです。このラザロは別人ですが、同名である所が興味深いです。ラザロは死後、四日も経っていたのですが、よみがえったわけです。

ヨハネの十一章四十三〜四十四節、

 

『そして、イエスはそう言われると、大声で叫ばれた。「ラザロよ。出て来なさい。」すると、死んでいた人が、手と足を長い布で巻かれたままで出て来た。』

 

民衆はこの奇跡を見て、特に貧困層の人々は、「イエスがメシア、救い主だ!」と、どーっと、イエスさまになびきました。

しかし、富裕層と宗教家たちは、その時、何をしたのでしょうか。彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立て始めたのです。

ヨハネの福音書十一章五十三節

 

『そこで彼らは、その日から、イエスを殺すための計画を立てた。』

 

なんと、イエスさまが預言されたとおり、ラザロがよみがえっても、彼らは受け入れなかったのです。

その後、イエスさまご自身も十字架について死なれ、三日目によみがえられました。それでも彼らは信じなかったのです。まさしくイエスさまの言われたとおりでした。今でもユダヤ人たちのほとんどが、イエスがメシア、救い主だとは信じていません。

 

私たちが永遠のいのちをいただくために必要な条件は何なのか?金持ちになってはいけないとか、貧乏人ではいけないとか、良いとか、そういう問題じゃないのです。

金持ちとは中心的には誰を指していたのでしょうか。特に、当時の宗教家たちを指していました。金持ちが死後、ゲヘナに落ちた理由はただ一つ、「イエスをメシア、救い主であると認めなかった」という理由でした。

ラザロと金持ちの話を通して、イエスさまは富裕層や、律法学者たち、宗教家たちにも、悔い改めを迫られていたわけです。「わたしをメシアであると認めなさい。認めたら、永遠のいのちが与えられますよ。」というメッセージであったのです。

そして、このメッセージは、現代でも、変わらないのです。私たちが永遠のいのちの中に生きる条件はただ一つ、「イエスを救い主、メシアであると認めるか否か」にかかっています。

 

先週、リバイバルミッションの配信の中で、すでに天に帰られた、田中政男先生の「百円玉に誘われて」という本がドラマ化されて配信されました。それは、田中政男先生がクリスチャンになるまでの過程をドラマ化したものです。私は、それを見て、大変感動しました。来週の日曜日は、午後から皆さんで見たいと思いますが、すでにユーチューブで全編流れておりますので、ぜひ、ご覧になって下さい。

田中政男先生は「富裕層になりたい!」と願っていた人でした。ラザロと金持ちのストーリーでは、金持ち側の人でした。彼は教会に行く気は全くありませんでした。しかし、仕事場の奧さん、見城しずえさんが富裕層になりたいと願っている彼の琴線に触れて、「政男、百円やるから教会に行ってくれる?」と、不正の富を使って誘いました。当時の百円は、かき氷を二杯食べて、二本立ての映画を見ることができたそうですから、今で言えばどうでしょうか。何千円かの価値があったわけです。百円玉というより、百円札でした。

彼はいやいや、金のために教会に行きました。しかし、ある時、政男は一つのみことばに触れるのです。それが今日読んでいただいた箇所でした。

 

『人は、たとい全世界を手に入れても、自分自身を失い、損じたら、何の得がありましょう。』

 

それで、はっ!と気づいたのです。そして、ある年のクリスマス、イエスさまと出会うのです。

今からそのところを、短く、八分にまとめましたので、ご覧になっていただきたいと思います。

今回、田中政男先生役を演じたのは、田中先生の孫の田中まき君です。だから本当に昔の田中先生にそっくりです。ご覧になっていただきたいと思います。よろしくお願いします。

 

<ドラマ「百円玉に誘われて」を見る>

 

いかがでしたでしょうか。感動的ですよね。福音は人を変えるのです。主に、大きな拍手をいたしましょう。

 

私たちがイエスをキリスト、救い主として受け入れるならば、永遠のいのちが与えられます。田中先生はその後、富裕層ではなく貧乏人の道を歩まれました。しかしその結果、多くの人たちが田中先生の人生によって、祝福されました。

最後に一言お祈りして、メッセージを閉じさせていただきます。

 

天の父なる神さま、み名をあがめて心から感謝をいたします。福音は人を変えます。そしてイエスさま、あなたこそメシアであり、救い主です。やがて私たちの旅路の先で、誰一人としてゲヘナに行くのではなくて、主よ、あなたのもとに行かせて下さい。

 

今、お祈りの途中ですけど、ご一緒にお祈りしましょう。イエスさまをどのように評価するかということです。金持ちや、宗教家たちのように評価してはいけません。イエスさまをメシア、救い主である!と認めたら、永遠のいのちをいただくことができます。認めるための方法は告白です。今からイエスさまをメシア、救い主として認めます!と告白する祈りをご一緒にしたいと思います。インターネットで参加されている方も、私の祈りに合わせて、一緒にお祈りして下さい。では祈りましょう。

 

イエスさま、今私は、あなたを救い主・メシアとして認めます。受け入れます。私を永遠に導いてください。私を永遠のいのちで養ってください。今私はもう一度、心の底からイエスさま、あなたをキリストである、救い主であると宣言します。アーメン。