「70年が満ちた2021 回復と再建の年!  〜大逆転・大勝利 パート②〜」

口語訳という聖書訳があります。私が小さい頃に親しんだ訳ですが、日本人に分かりやすく意訳しています。
『正月の元旦にはあなたは会見の天幕なる幕屋を建てなければならない』と訳されています。『正月の元旦には』なんて言うと、日本の太陽暦を連想してしまいます。これは本来はユダヤ暦ですから、ニサンの月の一日に神さまを礼拝する幕屋を建てろと言う事です。礼拝は、ニサンの月の一日から始めろ!と言う命令です。先週の日曜日は、ニサンの月の一日でした。それを実行できました。新城教会の歴史で、初めてだったと思います。
エズラは、バビロンをいつ脱出したのか。彼は聖書をよく知っていました。『すなわち正月の一日にバビロンを出発して、五月一日にエルサレムに着いた。その神の恵みの手が彼の上にあったからである。』とあります。彼は神さまのカレンダーをよく理解しており、韻を踏んでバビロンを出発したわけです。

そんな中、イエスさまの十字架と復活も、神があらかじめ定められたカレンダーに沿って実現したのです。それに重なるように、シンクロするかのようになされた事実を知ることができます。
こんな記述がレビ記二十三章五節にあのます、

『第一月の十四日には、夕暮れに過越のいけにえを主にささげる。』

レビ記二十三章には、神を礼拝する手順が記されています。旧約聖書の時代、神と交わるためには、複雑な手順が必要でした。ヘブル民族に神は「このような手順でわたしを礼拝しなさい」と命じられたわけです。そこには様々な規定と、祭りが関わっていました。
しかし新約時代になって、イエスさまが地上に来られ、それらの理由が分かりました。旧約聖書の祭りとか、新月とか、安息日の本体は「救い主イエスさま」を指し示していたということです。
旧約聖書で述べられている事柄は、すべて救い主イエスさまのことだったのです。そのような視点を持って、旧約の祭り等を見るとたいへん興味深いです。

ユダヤ人たちが最も重要にしている祭りは、「過越の祭」です。過越の祭りについては、すでにご存知だと思うのですが、かつてヘブル民族は400年以上にわたって、エジプトに奴隷となっていました。しかし神は彼らを解放し、エジプトを脱出させました。その時、神から十の災いがエジプトにもたらされました。その最後の災いが、エジプトに住む、すべての長男が神の手によって一掃されるという恐ろしい事件でした。長男だけが殺されたのです。
皆さんの中に長男はおられますか?私も長男です。当時のエジプトに生まれなくて良かったと思います。一晩のうちに、エジプト全域に住む長男が殺されたのです。
しかしながら、子羊を屠ってその血を、柱とかもいに塗っておいたユダヤ人の家庭の長男は、皆、死ぬことはなく守られたのです。
子羊が屠られ、その血を柱とかもいに塗った家だけが見過ごされました。死をもたらす天使が、その家を通り過ごしたのです。
それは何を意味しているのかと言うと、イエスさまの十字架を意味しています。

しかもイエスさまの十字架刑がいつ執行されたのか。一年のどこかワンポイント、一日です。また、よみがえりもどこかの一日です。それはいつなのか。復活祭の日程は毎年変わります。人類にとって最も重要な日が、曖昧になっているのです。
しかしなんと、子羊イエスさまが屠られたのは、他でもない、過越の祭の日でした。
ニサンの月の十四日が、子羊が屠られる過越の祭りです。現代に至るまで、ユダヤ人たちは過越の祭りを守っています。三千数百年にわたって守っているわけです。その本体は、イエスさまにあるのですが、彼らは気づいていません。
ニサンの月の十四日が、三月二十七日の土曜日にあたります。

イエスさまのよみがえりは、来週の月曜日にあたります。イエスさまのよみがえりの日に、どんな祭りが行われていたのかと言うと、「初穂の祭り」です。
初穂の祭りとは、収穫物の初物を神に捧げる祭りです。それは過越の祭り後の、安息日の翌日に行われます。それはニサンの月、十六日になるわけです。初穂の麦の束を神の前で振り回す儀式が行われます。ここにもイエスさまを示唆する大きな意味が隠されています。
第一コリント十五章二十節、

『しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。』

なぜ、イエスさまは初穂の祭りの日によみがえられたのかと言ったら、「イエスさまがよみがえりの初穂」だからです。「初穂」とは何か。初穂が出ると、その後、どんどん新しい穂が実ります。収穫の時に、まず、初穂を見つけて、その初穂を神にささげる儀式が「初穂の祭り」でした。
ということは、初穂に続くよみがえりが起こることを意味しています。
イエスさまの十字架と復活は、ユダヤ教の過越の祭りと、初穂の祭りにシンクロして起こったのです。これは凄いことだとわかります。
ヨハネ十九章三十一〜三十二節、

『その日は備え日であったため、ユダヤ人たちは安息日に(その安息日は大いなる日であったので)、死体を十字架の上に残しておかないように、すねを折ってそれを取りのける処置をピラトに願った。それで、兵士たちが来て、イエスといっしょに十字架につけられた第一の者と、もうひとりの者とのすねを折った。』

イエスさまが十字架につけられた日は、備えの日だったと記録されています。備えの日とは、安息日のために備える日を意味します。それは安息日の前日ということになります。
そして続く安息日は、「大いなる日」と呼ばれる特殊な安息日でした。それは一年に一日しかない、過越の祭り期間と重なる安息日を意味します。それを「大いなる日」と呼びました。
ということは、「過越の祭り」が、ニサンの月十四日ですから、「イエスさまの十字架」もニサンの月の十四日です。翌日は大いなる日と重なる安息日で、そのまた翌日の十六日が「初穂の祭り」となります。
しかし初期の教会は、迫害の中、そのような重大な日々を失ってしまったのです。ゆえに毎年日程が変わるような復活祭となったのです。主が十字架につけられた日を特定し、生きるならば、神の恵みはさらに溢れると信じます。十字架の大逆転・大勝利が訪れるのではないでしょうか。
今週はイエスさまの受難週となります。そのことを意識し、感謝したいです。
太陽暦で、三月二十七日・土曜日が過越の祭りと重なる十字架、二十八日・日曜日が「大いなる日」と呼ばれる安息日。そして、二十九日月曜日が週の初めの日、初穂の祭りと重なる「主の復活」となるわけです。

イスラエルでは、安息日は金曜日の夜から始まって土曜日の夕刻までと固定されています。どうして固定かというと、ユダヤ教が太陽暦の影響を受けた為です。聖書暦は新月から始まって新月に終わる太陰暦です。そもそも互いに一年の長さが違う太陰暦を、太陽暦に組み込むのには無理があるわけです。
古代のイスラエルにおいては、新月に新月祭を行い、翌日から一日目、二日目、三日目、四日目・・・、七日、安息日へと続きました。そうすると安息日が週の半ばに来たりします。経済活動ができなくなってしまうのです。昔のヘブル民族はそれを徹底的に守っていました。

私はユダヤ暦を勉強してみて結構難しくて、詳しく研究している人に質問したいと思いました。すると私の知り合いの牧師がそのことを詳しく研究していました。私はその先生に電話して、教えてもらおうと思いました。しかし十年以上、電話したことはなかったし、会ったこともありませんでした。しかし昨日、勇気を出して先生に電話してみました。そして最近、暦のことを学ぶように導かれていると話したら、その先生がすごく喜んで下さいました。それと共に、「わーっ、鳥肌もんだ!」と言うのです。「なぜですか?」と聞いたら、「今朝、祈っていて、聖書暦について順先生に伝えるべきだと思った。」と言うのです。「どうしようか・・と考えていたところだった。」と言われるのです。
そうしたら、夕刻に私から電話が来たので興奮して、「これは主の導きだ!」と言っておられました。

イエスさまの十字架と復活は事実であり、コロコロ日程が変わるものではありません。今週が受難週にあたります。イエスさまの十字架を思って感謝しましょう。そして来週の月曜日は、イエスさまの復活を感謝し、賛美しましょう。
今週はできるなら、一食くらいは断食して、主の苦しみを思い、感謝して祈るのも大切ではないかと思います。
私は最近、朝食を断食して、大逆転・大勝利を祈っています。
みことばを実行するとは、ただ字面を実行するだけではなく神さまの創造されたシステムを理解する、包括的行動であると思います。特に暦のシステムを意識しながら、みことばを実行する時、大きな勝利につながると信じます。

イエスさまの十字架と復活は、悪魔という死の力を持つ者を滅ぼすためであったと記されています。死の力は悪魔に託されています。ゆえに人は死ななければならないのです。
しかし私たちクリスチャンには希望があります。イエスさまの十字架と復活によって、死の力が打ち破られたからです。死の力を持つ悪魔が打ち破られた証拠として、主はよみがえられたのです。
先週も召天式がありましたが、新城教会から何百人という方々が天に帰られました。納骨堂には多くの方々が眠っておられます。死後の世界にいる彼らは、何を考えているのでしょうか。「天国はいい所だから、こっちにおいでよ。」とは言っていないのです。「早く、よみがえりを体験したい!」と願っているのに違いないです。イエスさまの勝利はよみがえりにあるからです。イエスさまが再臨されるときに、死人のよみがえりが起こるのです。これがキリスト教信仰の中心です。

イエスさまが復活された時、誰が最初にイエスさまに出会ったのかと言いますと、「マグダラのマリア」という女性でした。この女性は娼婦であったと言われます。当時の文化においてはありえない女性でした。その女性に、イエスさまは最初に現れたのです。ゆえに、聖書を批判するユダの福音書みたいな文書や、また、ダビンチ・コードなどを読んで、「イエスはマリアとできていた」みたいなことを言う人たちがいます。それは全くの間違いです。
主がよみがえられた時、マグダラのマリアに最初に出会ったのはなぜか。その理由が聖書に記されているのです。

マグダラのマリアは、イエスさまによって、「七つの悪霊」を追い出していただいたと記されています。この女性は罪の中で、悪霊どもに乗っ取られていたのです。七つの悪霊に支配されていたとは、七は完全数、悪魔に完璧に支配されていた事を意味します。ということは、言い換えれば「死の霊によって完全にコントロールされていた女」だったわけです。
復活の主がマグダラのマリアに最初に現れたのは、十字架と復活により、死の力が完全に打ち破られたことを意味します。それを証明するために、最初にマグダラのマリアに現れたと思われます。
私たちも、イエス・キリストの十字架によって死の力を持つ悪魔の力から解放されて、自由になった!のです。

その記念日が今週の中に含まれているのです。十字架と復活という最も大きなイベントを含む週であることを意識して、主の大逆転と大勝利を祈る週にしたいと願っています。

今週の聖餐式は、ひとしおですね。最後に一言お祈りさせて頂いてメッセージに代えさせていただきます。

ハレルヤ、天の父なる神さま。み名をあがめて心から感謝します。今週は特別な週に差し掛かっています。イエスさまが苦しんでくださり、十字架に架かり、よみがえりに結びつく週に差し掛かっています。イエスさまの大きな犠牲のゆえに、救われました。私たちだけでなく、被造物全体も解放されました。この恵みを心から感謝致します。
今週私たちは主の十字架を心から感謝し、あなたの前に出たいと願っています。十字架における最大の大逆転・大勝利を我々の中にもお与えください。多くの領域で、大逆転・大勝利が必要です。主よ、どうか、今週そのスイッチが押される週となりますように。尊いイエスさまのみ名によって、祈りをおささげいたします。アーメン!