「神の国のために戦おう!」

イスラエルを象徴する女と、その女が生み出そうとする子どもが鉄の杖で全ての国の民を牧することになる。そして神のみ座に引き上げられると書かれている。これはイエスさまのことです。しかしこの子どもを竜が亡き者にしようとしたと書かれています。
イスラエルの歴史を見る時に、このことばに書かれているように、様々な苦難をイスラエルは味わっていきます。エジプトでの奴隷生活、荒野での四十年間の旅、王国時代の出来事やバビロン捕囚時の出来事、そして捕囚期間後の苦難、新約に入ると、イエスさまが誕生した時に起こったヘロデ王によるベツレヘムの初子の大虐殺。これらは「救い主が生まれないように」と、イスラエルの種を根絶やしにし、救い主をも殺してしまおう!という悪魔の仕業だったということが、黙示録の十二章に書かれています。
神さまはそんな激しい戦いの中にみ使いを遣わして、イスラエルを守り導かれて、サタンとその軍勢を打ち負かされたことが書かれているわけです。黙示録の十二章にも旧約聖書のイスラエルの歴史がふまえられた中で救い主が生まれ、サタンを打ち砕いたことを私たちに教えてくれているわけです。
このように、イエスさまは神さまの計画の中で生まれ生きて、究極の救いを成し遂げられた。それも旧約聖書に描かれている過ぎ越しの祭りと同じように、自ら犠牲として神さまの前にささげられる生贄となられたわけです。その血を持って救いを成し遂げられた。
先週はそのことを祝って礼拝する、復活記念礼拝でした。イエスさまが流された血潮によって私たちは死の力から解き放され神の子としての立場を受けることができたのです。

もう一箇所、旧約聖書からみことばを読みたいと思います。創世記十二章一節から三節です。

『主はアブラムに言われた。「あなたは、あなたの土地、あなたの親族、あなたの父の家を離れて、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとする。あなたは祝福となりなさい。わたしは、あなたを祝福する者を祝福し、あなたを呪う者をのろう。地のすべての部族は、あなたによって祝福される。」』

先ほどイスラエルの始祖がアブラハム、イサク、ヤコブと申しましたが、アブラハムがその始まりです。神さまはアブラハム、ここではアブラムと呼ばれ後にアブラハムへと変わるのですが、彼を選ばれ彼を通して世界が祝福されると約束されました。
彼はこの神さまの約束を信じ、神さまが導かれる所へ出て行った。そして、彼の後のイスラエルの民族が神さまの選ばれた民となってイエスさまをこの地上に生み出したということです。
そしてイエスさまがなされた救いは、イスラエル民族だけにとどまることなく、全世界の信じる者すべてに及ぶ救いとなったということです。まさしく今読んだみ言葉のようで、これはイエスさまが生まれるよりも千年以上前の出来事でありますが、アブラハムに神さまご自身が「あなたによって世界のこの地の全ての部族が祝福されますよ!」という約束、この言葉通りに、彼を通して世に生まれたイエスさまによって世界が祝福されることになった。その中に私たち日本人も、私たち一人ひとりも、含まれるわけです。

新約聖書のコロサイ人への手紙三章十一節にはこう書いてあります。

『そこには、ギリシア人もユダヤ人もなく、割礼のある者もない者も、未開の人も、スキタイ人も、奴隷も自由人もありません。キリストがすべてであり、すべてのうちにおられるのです。』

それからガラテヤ人への手紙三章十四節では、

『それは、アブラハムへの祝福がキリスト・イエスによって異邦人に及び、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるようになるためでした。』

そして同じガラテヤ人への手紙三章二十九節では、

『あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。』

これが今私たちが持っている信仰の裏付けです。私たちは元々イスラエル民族ではありませんので、「異邦人」と呼ばれるグループに属する者であったわけですけど、イエスさまが神の子キリスト救い主であるということを旧約聖書が証言し、キリストを信じ受け入れる私たちは霊的なアブラハムの子孫だと書いてあるように、アブラハムに主が与えた祝福を受け継ぐ者として、私たちはイエスさまによって神の子どもとしての立場を与えられました。そして先ほどから申し上げた通り、旧約聖書の記述その歴史がこのみ言葉を担保にしているということです。ぽっと出の祝福じゃない、どこかの新興宗教の教祖さんが「これやったら救われるよ」と言うような軽いものじゃないのです。信じるに値する重要なものだと聖書自体が言っています。

そして、結論に移っていきたいのですが、黙示録十二章に描かれていた悪魔のイスラエルに対する執拗なまでの敵意、攻撃は、救いのみ業が達成されないようにと妨害する悪魔の軍団の挑戦であると申し上げましたけど、この戦いは、今の時代、救われて神さまを信じている私たちが経験している戦いそのものなのです。私たちの信仰は、悪魔とその軍団との戦闘であるということがここを見る時にはっきりと書かれています。

イスラエルは救い主を誕生させるために戦いの中に置かれていた。そして神さまの計画の中で救い主を生み出したわけです。イスラエルが味わった苦難は、私たちに救いをもたらしました。ですから私たちは「イスラエルが祝福されるように」と祈る必要があるわけですが、新約の時代に私たちがクリスチャンとして神の前で歩む、その中には様々な苦難、そして戦いがあるということです。それは何のため戦いかと言うと、今度は神の国がこの地にもたらされるための戦いです。神の国が拡大していくために、私たちはイスラエルの民が味わったのと同じように、霊的な戦いの中にあるということであります。
その私たちの立場とは、私たちが神の子どもとして生まれた者であるという、私たちの生きている目的に関わるものなのです。だからここにいらっしゃるクリスチャン全員がその戦いのために招集された戦士であるということができるわけです。
だから私たちが「戦いたくない」と言ったからといって「戦わんでいいよ」とはなりません。「戦わない」という選択をすることはできないのです。
クリスチャンの歩んできた歴史を見ても、多くの迫害があって、この世との緊張関係がありました。私たちはこの世に生きていながら、この世のものではない。「私たちの国籍は天にある」とあるように、この世にありながら神の国の価値観で生きる者、罪から離れて、神のみことばに従って、また神を証しすると使命を持っているわけですが、その歩みを私たちがしようとする時に、この世との様々な摩擦、緊張関係が生じます。罪の誘惑があったり、福音宣教に伴う困難があったり、ある時は病や分裂の力に傷つけられることがあります。
新城教会の歴史の中でもそうでしたし、皆さんの個人の信仰生活における様々な問題、「もうこの問題から逃げ出したい!」というような問題に今、直面している方も、この中にもいらっしゃるかもしれません。その戦いの中にあるのは、クリスチャンである以上、私たちは避けて通ることができない戦いでもあるわけですね。

最初にお読みした黙示録十二章十〜十一節には、このように書かれておりました。

『 私は、大きな声が天でこう言うのを聞いた。「今や、私たちの神の救いと力と王国と、神のキリストの権威が現れた。私たちの兄弟たちの告発者、昼も夜も私たちの神の御前で訴える者が、投げ落とされたからである。兄弟たちは、子羊の血と、自分たちの証しのことばのゆえに竜に打ち勝った。彼らは死に至るまでも自分のいのちを惜しまなかった。」』

ここに「子羊の血」と書かれていますけど、これは旧約聖書の過ぎ越しの祭りで子羊が血を流して犠牲となり、イスラエルを死から救った描かれております。
そして旧約の時代、イスラエルの民はこの出来事を記念して、毎年、過ぎ越しの祭りを行ってきました。その祭りの日に、私たちの救いとなるためにイエスさまは十字架にかかった。そして十字架の上で血を流された。その血によって私たちは勝つことができると、ここにはっきり書いてあるわけですね。

また私たちの信仰の告白そのものが、サタンとの戦いに打ち勝つ武器であると書かれております。ですから私たちは激しい戦いの中にあっても、臆する必要がなく、人生を通しての戦いを戦い続けていくことができる。
そして最終的には勝利を勝ち取らせていただくことができるということを知って、これからも前進していきたいと思います。

しかし仮に私たちが「もう戦い辛いからやめたい。」と言って、戦いを自ら放棄してしまったら、やっぱり生き残っていくことはできないかもしれません。これは私たちがクリスチャンである以上戦い続けていく必要があります。悪魔を意識して、そして祈りをもって、様々な問題に対して神の民として戦っていきたいと思います。そうしたら勝利は我々と共にある。「大逆転・大勝利・大どんでん返し」と最近言われておりますけども、そのような主のみ業を私たちは信仰によって受け止めて、この信仰の歩みを神さまの前に続けていきたい、ともに祈り合いながら前進していきたいと思います。
最後に一言お祈りさせていただいて、私の話を終わりにさせていただきたいと思います。

ハレルヤ、天のお父さま、あなたのみ名を崇めて心から感謝いたします。イエスさま、あなたは歴史の中に神さまの計画、約束を通して、この地上に確かにお生まれになり、そして十字架をもって私たちの贖いを成し遂げてくださいました。
それゆえ私たちにもアブラハムに約束された祝福が受け継がれ、神の子どもとしての立場が与えられていると学びました。そして神の民として、神の国の拡大のために戦い続けていく使命についても学びました。
どうぞ主よ、今日お一人おひとりが、本当に聖書の教えを心に受け止め、そしてまた神の前に立ち上がり、そして悪魔の前にしっかり立って戦っていく一人ひとりとなりますように。私の目の前にある様々な問題、この教会が今戦っている戦い、それら全ての事柄において、主よ、あなたは子羊の血と私たちの証しのことばを通して、竜に打ち勝ったと教えてくださり、勝利を約束してくださっていることを心から感謝いたします。そのことを私たちは心に踏まえ、信仰を持って、これからも尚も前進していくことができますように。またさらにさらに、この地にあって、すべての人々が、すべての被造物が、主よ、あなたの前に贖い出され、神の民として加えられ、神の国が益々拡大していくことができますように。今日のこの礼拝の時、恵みの時を与えてくださった主に心から感謝し、尊きイエス・キリストのみ名によって、この祈りをみ前におささげいたします。アーメン。