2022年1月9(日)新城教会牧師 滝元開

創世記49章22節
『ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。』

エゼキエル書21章9~11節
『人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれている。虐殺のために研がれ、いなずまのようにそれはみがかれた。われわれはそれを喜ぼうか。わたしの子の杖も、すべての木のように、退けられる。その剣はみがかれて手に握られ、それは、研がれて、みがかれ、殺す者の手に渡される。」

感謝します。二〇二二年、第二週目の日曜日を迎えましたけども、賛美をもって神さまのみ前で礼拝をおささげできるこの大きな恵みを心から感謝します。
昨年の最後の日曜日の礼拝から三度にわたって、順先生がみことばを取り次いでくださって、その中で大きく宣言されたのが、「二〇二二年は復讐の年です!」と、そのことが力強く打ち立てられていることを心から感謝します。イザヤ書三十四章八節のみことばをお読みします。

『それは主の復讐の日であり、シオンの訴えのために仇を返す年である。』

このように書かれていますけれども、主が復讐をしてくださる二〇二二年、昨年は回復と再建を願って祈って参りました。再建と回復を願わなければならない状況がそれぞれのご家庭の中に、また個人の中にあったり、またこの教会の中にあったり、さまざまな領域に回復が必要だという、そのような中で戦って参りましたけども、主がこの年、特に復讐をして、今度は新たな主の勝利が現されると、そのような年になることを信じて心から感謝しています。

「復讐」という言葉をインターネットで調べたら、このように書かれていました。
“復讐とは、一般に不当な酷い仕打ちを受けた者が相手に対して行うやり返す「攻撃行動」だ。”
ということで、今年は復讐の年ですので、人に対してではなく、サタンに対して、私たちの祝福を奪い取ったサタンに対して、今度はやり返す攻撃行動、行動を起こさなければならない、そのような年であることを私たちは受け止めて進んでいきたいと思います。

そのために弱った手を強め、よろめく膝をしっかりさせよ!と、そのようなみことばも語られていましたが、私たち一人ひとり、主のみ前に祈りをもって、この年も進み出て行きたいと心から願っています。
今日は午後から県民の森の祈祷会がありますので、是非皆さんもご参加頂いて、一緒に祈りたいと思います。特にこの一月午後のプログラムは、一週を除いて、全て県民の森の祈祷会になる予定になっておりますので、是非今日行くことできない方も、来週は行っていただいて、祈りをもって主のみ前に攻撃、戦いをするための備えをさらに私たちがさせていただかなかったらいけないと思います。

ある方がこんなことを言いました。「イエスさまの生涯の勝利のパターン、それは山で祈り、平地で勝利。」こんな言葉を言った方がいます。これはどなたかが言ったかと言うと、二〇〇二年、順先生がここで言った言葉でしたけど、「山で祈り、平地で勝利。」私たち、この年、まず山で祈って、そしてそれぞれの地、平地で、主の勝利を勝ち取る、そのような年でありたいと心から願います。

この写真は昨年の一月に、何度も何度も県民の森に入って祈りましたけども、その時の写真です。

是非皆さんもご参加いただいて、お祈りいただければと心から願います。

そして主が昨年、私自身に与えてくださったみことばは、詩篇の百五篇の十一節で、

『そのとき主は仰せられた。「わたしはあなたがたの相続地としてあなたに、カナンの地を与える。」』

このみことばが与えられて、二〇二一年は神さまのくださるカナンの地に私たちは踏み入って、そして主の勝利を手にする、そのような年だと神さまが言ってくださったので、すごく期待を持って昨年は始めましたけども、一年振り返ってどこがカナンの地だったのかなと思ったのですが、昨年の特に十二月は一ヶ月間、いろんな形での伝道の働きがなされて、そこに多くの新しい方が来られて、そしてそこでイエスさまに出会う多くの方々の姿を目の当たりにさせていただいて、まさしくカナンの地だったなぁと感じた、特に一年の締めくくりでした。

神さまがくださった昨年の最後の祝福だったなと思うのですが、ヘブンズでの伝道会が一ヶ月行われて、全部で十七回行うことができました。十七回行われて、そしてそのうちクリスチャンでない方々、総勢百十名前後の方々が来てくださいました。本当に素晴らしい祝福で、少ない人数はたった三人という時もありました。三人対私たち二人で、三対二の伝道会で、その中のお一人がノンクリスチャン、まだ洗礼を受けていない子に向かって一生懸命賛美して主の福音をお伝えしたのですが、後々、必ず洗礼を受けてクリスチャンになる日が近づいているのではないかなと信じています。

この十七回目の最初は、二人のノンクリスチャンの方でした。一人のご婦人と小学校二年生の女の子でした。その子はミュージックスクールに度々来ている子らしく、その子どもからの歌う歌のリクエストがありました。何を歌ってほしいかと言ったら、ザワメキの曲の中の「ダンシング」を歌ってほしいということで、その子はすごくダンシングが好きで学校でもそのダンシングを歌ったという、そのような子だったので歌いました。
「それじゃぁ歌いましょう!」とダンシングを歌って、私たちが立って歌っていて、皆さんには人数分の椅子だけご用意して、そこに座っていただいて聞いていただいていたのですが、歌い出したら、その小学校二年性の子が顔を真っ赤にして足をバタバタし始めました。どうしたのかなと思うぐらいに顔を赤くしていてバタバタしているから、お母さんも「この子どうしたのかな。トイレ行きたくなっちゃったのかな。」と思っていたらしいのですが、後から聞いたらなんと「あの歌を聞いたら、いてもたってもいられなくなって、立ち上がって一緒に歌って踊りたくなった。」と言っていたと言うのです。
本当にお母さんもそのお子さんもすごく喜んで帰って行かれて、最後にアンコールがありました。「アンコール何歌いますか?」そうしたらその子どもが、またザワメキの中の「ハレルヤ」を選曲してくださって、一緒に喜びをもって賛美するそんな時が与えられて本当に感謝でした。

神さまのご計画の中でのヘブンズの集会、一つ一つ証ししていくと、十七回分あるんですけど、一人のおじいちゃんのための伝道会がありました。それは岡本先生が企画してくださって、このおじいちゃんのために、特にヘブンズを作ってくださった大工さん。そのおじいちゃんに向けての伝道会をしようということで、行われました。昨年ヘブンズを作る時、そのおじいちゃん、少し足が不自由なので、私たち教会のスタッフもちょっとだけお手伝いをしました。重たい物を運ぶことはできないので私たちが運んで、そして運んで作っているうちに「今度はそのかんなで面を取ってくれ」と、私たちみたいな素人に向かって面を取るってそれずっと永遠に残る面なので、「いいんですか?」と聞くと、「いいからやれ。」と言って、やったら褒めてくださって、「こうして、ああして。」と、ずっと一緒に楽しい時をそのおじいちゃんと過ごしました。
それでおじいちゃんに話しました。「イエスさまはね、元々大工さんだったんですよ。」と話したら、「それはもったいない。」と言うのです。「でもあんたたちがここで祈ってるのがイエスさまだな。よくわかってる。」と言ってくださっていました。だからおじいちゃん、心の中でイエスさまという方を認識してくださったなと思ってすごく喜んでいたのですが、そのおじいちゃんが岡本先生の紹介でひさしぶりに来てくださって、真ん中の席に座ってくださりました。
ただ来た時、以前よりすごく足が調子良くなくて、入ってきたと思ったらふらっとして、私そっと支えました。転びそうになってしまったのです。いや、大丈夫かなぁと思って、でも座ってくださって、三十分のコンサートをずっと続けました。
私たちは透明の飛沫ガードをしながらマスク無しで歌っているのですが、皆さんはマスクをして聞いてくださっていて、おじいちゃんなのでリズムを取ることもしないし、マスクなので表情も全く分からなくて、果たしてどっちかなぁと思いました。このおじいちゃんに届いているのかな、聞こえているのかなと、そんな気持ちで歌いましたが、終わったらおじいちゃん、本当に喜んでくださって、「良かった!来て良かった!」と、そうおっしゃってくださいました。
集会の最後に、もしも、これはすべての方に言えることですけど、これが最後だったら永遠の別れになるので、イエスさまを信じていただく祈りをしようと思って、「私の後についてお祈りしてください。」と、その集会の中で一緒にお祈りすることができて、「イエスさま」『イエスさま』、「イエスさまを」『イエスさまを』、「私は」『私は』、「信じます。」『信じます。』と、お祈りすることができて、本当に感謝でした。
おじいちゃんがしっかり天国行きの切符を持って帰られたなぁと思いました。そして帰りの時は、なんか来た時本当に今にも転んでしまいそうだったのが、スースーとスムーズに歩くことができ、元気に帰られて、そして出るその瞬間まで、「良かった、良かった。家内も連れて来るんだった。」とおっしゃってくださって、本当に感謝でした。一つ一つの集会の中で多くの涙を見、また笑い声を聞かせていただいて、素晴らしい祝福でした。

あとすごく大きな恵みだったなぁと思うのは、ヘブンズのコンサートが、伝道会がされているのと同時進行で、いろんな集会がなされました。水曜主日礼拝もそうでしたし、そしてこの会堂での子どものクリスマス会、同時に行われて本当に感謝でした。子ども会、人来るかなぁと、すごく心配していました。毎年毎年、学校の前でチラシを配って、そのチラシの中には「クリスマスのプレゼント豪華賞品が当たる!」というそのキャッチフレーズに惹かれて、多くの子どもたちが来ます。だから今回配ることができなかったので、果たして来るのかなぁと、そういう思いがあったわけですけど、しかしここにいっぱいの、親御さんを含めて二百人近くの子どもたちが集まって、充彦先生が先週の木曜日の賛美集会で言っておられたかと思いますけど、「イエスさま、信じます!」と、みんなが本当に大声で告白して、今までないぐらいだったと、本当に神さまが、この年のカナンの地の祝福を見させていただいたなぁと、そのようにすごく感じました。

その子ども会が終わった次の家庭集会で、証しの時があり、その中でK君(5才)がニコニコしているんですよ。本当にニコニコして、何も言わないのですが、ママに「証しで、言ったらいいじゃん。」『ママ言って…。』とか言って、自分で言おうとしないんですね。それで彼が何を言ったのかというと、彼の親友が二人来てくれたそうです。親友二人来てくれたということが嬉しいのかなと思ったら、それだけじゃなくて、後日こども園に行った時に、K君はその二人に聞いたそうなんですね。「イエスさま信じた?」と聞いた。そうしたらその二人の親友が何と言ったかと言ったら、「うん、イエスさま信じた。」と、いや〜、本当にそれで彼は本当に嬉しそうな顔をして言ったのが、「自分の子ども園には僕しかイエスさまを信じてる人がいなかったけどこれで三人になった。」と。
いや〜、すばらしいですね。本当に神さまのなさっておられることを、子どものように純粋に信じ切る必要があるなと思います。それはとりあえず言ったことじゃない?じゃないんですよ。本当に神さまの祝福なのです。カナンの地に斥候に行った人たちは、祝福を二人で担いだぶどうの実を持ってきて、でもその祝福を信じたのはカレブとヨシュアでした。その他の十人のように不信仰にならず、神さまはその大きな祝福の中に大いなる祝福の働きを始めてくださると、そのことを信じて進む時が来ているのかなと思います。

また中高生のレッツプレイズという集会もさせていただいて、このコロナでずっとできなかったのが本当に久しぶりでした。しかも今中高生でこの教会に来ることのできる兄妹姉妹がすごく少ないので、だからその日もクリスチャンの中高生の子は六、七人だったと思うのですが、でもノンクリスチャンの人たちが十五、六人来てくださいました。
すごく喜んでくださって、とても素晴らしいアンケートを残してくれました。中高生のレッツプレイズのアンケートはとても細かな質問事項があるんです。「今日の食事どうだった?」とか、「賛美どうだった?」とか、「この冬どっか行きたい所ある?」とか、「この日本を変えるためには何が必要だと思う?」とか、いろんなことを聞きます。そうすると、みんな一生懸命書いてくれます。
その中に一つ、「イエスさまってどういう方だと思う?」という、その質問があります。そこに多くの中学生の子どもたちが何と書いたかと言ったら、『神さま』としっかり書いてくれたんですよ。『イエスさまが神さま』という告白をして帰ってくれた彼らの中には、イエスさまが来てくださったなぁと、そのようなことを強く感じて本当に感謝でした。

他にもいろんな恵みがこの十二月の中にありました。豊根村という所の老人会でのコンサートがありました。そこでのコンサートも本当に祝福されて、豊根村のまたその中の三沢地区という中の、お年寄りのおばあちゃんたちだけが来てくださるところだったので、どんな集会になるかなぁと思ったら、すごく温かく迎えてくれました。
そこには私の父の妹がいます。歌子さんというのですが、そこでのコンサートで、なんかすごくアットホームな感じですることができました。
そしてそのコンサートが終わったら、一人のおばあちゃんがちょこちょこっと来て、「あのね、私七十年前に清崎で行ってた、あんたのお父さんの日曜学校行ってただよ。」と言ってくださいました。「すごくその時のことをしっかり覚えてる。賛美歌も覚えてる。」と言って歌ってくれたりして、そしてどうしてその事を彼女が言ったかと言ったら、いろんな話を、また父の話をしたり、私は歌子さんの甥っ子になるわけですという話をしたりして、そうしたら「あぁ、あの時の清崎の日曜学校の人と歌子さんは兄弟だったんだ!」というのが、そこで繋がったようです。「歌ちゃんって、そういう人だったのね。」と、わざわざ言ってくれて、神さまのみわざ、七十年前に蒔かれた種というのがしっかりと蒔かれていて、素晴らしい主のみわざというのは進んでいるんだなぁと、そのように思わされて感謝でした。

ただ、二〇二一年、私たちにとって、この教会にとって、悲しいこともありました。いろんな方が天に帰られましたが、その中で私たちの家庭集会から二人の方が天に帰りました。朏兄妹姉妹が天に帰られたのですが、昨年の先ほどの写真、これ昨年の一月の時の祈祷会です。

この時にお二人いらっしゃるんですね。わかりますかね?この白に赤い服を着たのが朏姉妹で、その右手にいらっしゃるのが朏兄弟です。もうすごいですね。やっぱり最後まで祈り続けて、天に帰られたのです。朏姉妹、毎週木曜日、その天に帰る前の週まで木曜賛美集会、寒い中来てくださり、歌って踊って、移動はほとんど走りという、まさかでしたけど、神さまのなさる事は不思議なことで、『聖徒たちの死は主の目に尊い』という、詩篇一一六篇十五節のみことばが二人が天に帰った後に心に響いたみことばでした。
主の目に尊い働き、いろんな尊い働きがありますけども、時として私たちにとって悲しい出来事も、主の目には尊い。私たちにとっては悲しみであり、別れの寂しさがありますけど、この天と地が一つとなって、今は先にも天に帰って行ったこの新城教会の愛する兄妹姉妹が主の前に一生懸命とりなしをしてくださっていると思います。「さぁこの最後のリバイバルためにあなたたちは今天に来て、わたしの前でとりなしの祈りをしなさい。」とおっしゃったのではないかなと、そのように思わされた次第です。

本当に様々なことがあった二〇二一年でしたが、今度は新たな主の復讐の年であり、そして私に与えられたみことばは垣を越えるというみことばが与えられていますが、垣を越える主の祝福が溢れる年であると信じています。創世記四九章二十二節をお読みします。
『ヨセフは実を結ぶ若枝、泉のほとりの実を結ぶ若枝、その枝は垣を越える。』

神さまの働きが始まり、そして神さまのご栄光が輝き始めている時に、皆さんのそれぞれのご家庭での働き、地域での働き、学校、職場での働きの中にも、同じようにこれからきっと多くの実が結ばれていくと思います。
そして目に見える形での刈り取りがなされていくと思うのですが、それがもっと私たちの思いよりも遥かに越えた中にある垣を越えた、垣の越えたところに主のわざが広がっていく。そのような年であると受け止めていきたいと思います。

本当にこの二〇二一年から二二年に向かって、ずっといろんな働きがなされて、ある意味コロナという中で、ある意味止まってしまっているように見えた中で、教会の働きの中で元プレイズ旧社屋が大きく造り替えられて、新たにされて、事務所が新しくされて、ヘブンズアイスクリーム&コーヒーが出来上がって、そしてホールまでできて、そしてまさかの十二月のクリスマス伝道会。本当に神さまの働きってすごいスピードだなと思います。
越年の時にもお話ししたのですが、十一月末に、私は一人で県民の森に歩いて祈りに行きました。主に一生懸命お祈りして、主との交わりを持とうと思って行きました。そしてずっとお祈りしながら地面を見てずっと歩いて行って、そして山の尾根まで上がって、山の上で祈ろうと思って、祈りながら歩きつつ、そして山の上で尾根まで上がろうと思ってずっと歩いて行きました。ですからちょっと小走りに歩いていました。
そして歩いていたら、なんか気配を感じました。私はずっと地面を見ながら歩いて祈っていたのですが、気配を感じてふと目の前を見たら、なんと私の目の前にこんな動物がいました。

二、三メートル前でした。向こうも向こうで、「おまえなんだ?」私も「おまえ誰だ?」という感じで、ちょっとだけドッキリしました。角がありますので、これで襲ってきたらきっと負けるだろうなと思って、だから一歩下がって、彼か彼女か分からないですけど、横を通りながら写真を撮ったという、そういうことでした。
これはニホンカモシカです。カモシカと出会ったんだと思って、私その後、早速山に上って携帯の聖書のアプリで「カモシカ」で検索しました。そして出てきたみことばが、このみことばでした。第一歴代誌十二章八節、

『また、ガド人から離れて、荒野の要害をさしてダビデのもとに来た人々は、勇士であって戦いのために従軍している人であり、大盾と槍の備えのある者であった。彼らの顔は獅子の顔で、早く走ることは、山のかもしかのようであった。』

ダビデのもとに来た勇士たちの姿で、「彼らは走ることは山のかもしかのよう。」だから本当にイスラエルの荒野を早く走るカモシカのような、そんな働きをこの二〇二二年、主はご用意されているんだなぁと、そのように感じました。

詩篇十八篇三十三〜三十四節に、こんなみことばがあります。

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