2021年9月5日(日)新城教会牧師 公畑フェルナンド

第2テモテへの手紙1章7節

『神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。』

ハレルヤ!おはようございます。いつも私たちのため、インターナショナル部会のために、祈ってくださり、心から感謝します。先月、夏休みの時、インターナショナル部会で四人の方々がバプテスマを受けました。本当に感謝でした。毎年みんな待っている夏休みに川に行って、バプテスマがあって、そこで交わりをするのですが、今回はコロナウイルスの関係があって川では行わず、教会でやりました。それでも良い交わりがありました。では、メッセージに入ります。

私たちは人生の中で敵に立ち向かってきました。その名前は「恐れ」です。たぶん私たち、子どもの頃は暗がりに恐れがあって、明かりをつけて寝なければならなかったことでしょう。成長していくと、思春期、青年期になると、もう暗がりには恐れはなくても、友人たちから嫌われることを恐れ、人に気に入られようとし始めたかもしれません。
人間は成長していきます。成長する時に、一つの傾向があります。それは成長するにしたがって、恐れも一緒に成長していくということです。もうあなたには暗がりに対する恐れはないかもしれませんが、今は孤独になることに恐れがあるかもしれません。あなたは人に嫌われることに恐れを抱いていないかもしれませんが、貧困に対して、病気に対して、失敗に対して、恐れがあるかもしれません。実際、恐れとは、私たちの大きな敵の一つなのです。

第二次世界大戦中、ある一人の司令官がこう言いました。「恐れは戦争よりも多くの人を殺した。」それは本当です。それは、恐れがただ人を殺すだけでなく、人の夢を打ち砕き、約束を台無しにし、人間関係を破壊するものだからです。
しかし神に感謝します。私たちには聖書があります。なぜなら聖書は私たちの人生の全ての領域に対して助言を与えてくださるからです。もし、あなたに何か疑問があれば、聖書の中に答えがあります。

このメッセージを、この事をお伝えして始めたいと思います。それは「恐れは神から来ていない。」ということです。今読んでいただいた箇所にも書いてありますが、聖書には、「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではない。」と書いてあります。しかし、神が与えてくださったのは、「力と愛と慎みとの霊です。」とあります。
もし恐れが神から来るものでなければ、恐れがあなたの人生、命の一部を締めないようにしてください。なぜなら、恐れはネガティブな、悲観的な世界の信仰のように働くからです。それはちょうど神にある信仰が人生に良いことをもたらすように、恐れは悲観的なことを引き寄せる磁石のように働くからです。
それでヨブは次のように語っています。ヨブ記三章二十五節(新改訳2017)、

『私がおびえていたもの、それが私を襲い、私が恐れていたもの、それが降りかかったからだ。』

私が恐れていたことが、私が不安に思っていたことが、私の人生に起こったと言っています。ヨブはなぜこのようなことを言ったのでしょうか?ヨブ記の一章を見ると、この章の始まりのところに、ヨブが自分の子どもたちに何か悪いことが起こるのではないかという恐れがあったことを感じさせます。そしてこの章の最後に、悲劇がありました。彼の子どもたちが死んでしまったという出来事です。
ですから三章にいくと、ヨブは私たちにこう教えているのです。「私が恐れていたことが起こった。」と。他の言葉で言い換えるならば、「私は悲観的なことに信仰を置いていた。」と。それで人生に悲劇的なことをもたらしたのだということです。

ですから、この朝、あなたにお伝えしたいと思います。恐れに捕らわれて生きるのではなくて、信仰の翼によって飛ぶ人生にしてください。悲観的なことに信仰を置くのではなく、神を信じて、あなたの人生には、これからもっと良いものが訪れると信じましょう。肯定的なことを信じましょう。私たちの信仰を王の王、主の主であられる方に置いて、必ず良いことがあると信じましょう。

それではこの朝は、恐れに対する処方箋をお教えしたいと思います。
まず、「自分の恐れを認識し、神を信じることを選ぶ」ことです。詩篇五十六篇三節、四節、

『恐れのある日に、私は、あなたに信頼します。神にあって、私はみことばを、ほめたたえます。私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。』

あなたは、あなたが認識しないものには打ち勝つことはできません。まず、あなたが恐れに打ち勝つためにしなければならないことは、それは自分の恐れが何であるかを認識することです。
ですからここで詩篇の著者は言っています。「私には恐れがある。」と。私の人生の中には、恐れる時があります。そしてこの詩篇は、ダビデが書いたものですが、これは彼がサウルから逃げている時に詠んだものであり、サウル王はねたみや嫉妬に満ちていて、ダビデを追いかけて殺そうとしていました。そのような逃れた先で、この詩篇を書いたのです。そして「私には恐れがある」と言っています。
ダビデは何を恐れたのでしょう?それはこの世界の何百万の人々が恐れていることと同じです。それは「死」です。ダビデはサウルの手にかかって死ぬことを恐れていました。そしてそれが分かっていました。「私は恐れがある」と認識していました。

ですから、まずしなければならないこと、もしあなたが恐れに打ち勝ちたいのであれば、自分の恐れが何であるかを認識することです。それは医者が処方箋を私に出すのと同じです。まず私がしなければならないことは、病気が何であるかということを知ることです。病気が何であるか分からないなら、どのように治療して良いか分からないからです。病気が何であるか分からないなら、医者はどの薬を出したら良いかわかりません。ですからまずは、自分の恐れを知ることです。

しかし続けてダビデはこう言っています。まずは「これが私の恐れ、私の不安です。」と認識し、その次に「私は主に信頼を置きます」と言うのです。あなたの信頼を主においていますか?アーメンですか?ダビデは「私は主に信頼を置きます」と言っています。

次のことを書き留めていただきたいです。これはとても重要なことだからです。それは、あなたが一番恐れる領域とは、あなたの神への信頼度が一番低い領域であるということです。もう一度言います。あなたが一番恐れる領域とは、あなたの神への信頼度が一番低い領域です。
ここで質問です。あなたの恐れは何ですか?あなたの一番大きな不安とは何ですか?人は死を恐れます。失敗を恐れます。将来が不安です。貧困に恐れがあります。拒絶、恥を恐れます。私たちの恐れは何でしょうか?あなたが自分の恐れを知るときに、それを認識するときに、次のステップは「神を信頼すること」です。「恐れの中にあっても、私は神に信頼します!」と言うことです。「私には不安がありますが、私の命を神さまに委ねます。」と言うことです。

全ての人には恐れがあり、不安があります。「私には恐れや不安があるから他の人より劣っている」と考えてはいけません。私たち、全ての人には恐れがあるのです。
ダビデの良いところは何だったでしょうか。それは彼が、恐れや不安なしの人生を送ったことではありません。彼の優れた長所とは、恐れがありながらも、不安がありながらも、思い切って王の王、主の主である方を信頼した点にあります。

あなたにこの日曜日、良い知らせがあります。ダビデを恐れから解放してくださった同じ神が、あなたを助け、あなたが恐れに打ち勝つようしてくださいます。ですから神に信頼してください。
ですから、信仰とは恐れが全くなくなるということではありません。なぜなら聖書の中の偉大な英雄たちでさえ、恐れがありました。信仰とは、神を信頼することであり、恐れの中でも、危険の中でも、病気の中でも、借金の中でも、夫婦の問題の中にあっても、自分のどんな過去があっても、コロナのパンデミックの渦中でも、日々の戦いの中でも、誘惑の中にあっても、私は信頼します、私は信頼していきます、神さまに信頼します!という決意なのです。そして神に信頼し始めるとき、あなたの恐れは消えていきます。
一つの例えをお話ししたいと思います。私のかつての大きな恐れの一つは、人前で話をすることでした。私は大学である発表をしなければならなかったのですが、講堂で皆の前に立ち、人前で話をすることに恐れがありました。学校で口述試験があったときも、大変でした。友達たちの前で話すということを非常に恐れていました。
私は何をしなければならなかったでしょうか?大学時代、私はすでにイエスさまを自分の救い主として信じていましたので、このことを実践しました。まず私は自分の恐れが何であるかを認識し、主に、「主よ、私にはこういう恐れがあります。」と祈りました。しかしその中でも、「神さま、あなたに信頼します」という祈りをしました。
それは私の人生の中で今もこれからも、ずっとしていかなくてはならないものです。「神が私を支えてくださる、私を用いてくださる、神が教会に対してのみことばを私に与えてくださる。」と言い続けなければならないのです。ここに今私が立っているのは、私に恐れがないからではなく、私が神に信頼することを決めたから立っていられるのです。

たぶん、あなたは失敗を恐れているかもしれません。しかし神に信頼してください。あなたに成功を与えてくださいます。
早死にするかもしれないという恐れがあるかもしれません。しかし神に信頼してください。神さまはあなたに長く、十分で豊かな人生をお与えになります。現在、多くの人がコロナの影響により将来に対して恐れがあります。経済が停滞しているのを見ます。何が起こるかわかりません。
しかし私はあなたにこう言います。「神に信頼してください。イエスさまに信頼を置いてください。なぜならより良いものが、あなたに訪れようとしているのですから。ですから第一番目は、「自分の恐れを認識すること」、そして「イエスさまに信じることを選ぶ」ということです。

二番目、「神を賛美すること」です。先ほどお読みした同じ詩篇五十六篇四節をお読みします。

『私は神に信頼し、何も恐れません。肉なる者が、私に何をなしえましょう。』

ダビデが恐れに追いかけられていた時にしたことは、「神を賛美し始める」ということでした。恐れに対して一番よく効く解毒剤は賛美です。
詩篇とは何でしょう。それは歌であり、詩であります。それはダビデが試練の時に書いたものです。困難の中にあった時に書いたものです。恐れの中で書かれたものです。それが詩篇であります。賛美であり、歌であり、詩であり、ダビデが書いたものです。困難の中、試練の中で神に向かって作ったものです。
ですからダビデのように、私たちも神を賛美することを学びましょう。たとえ試練や、疑いや、恐れの中にあっても、神を賛美することを学びましょう。試練の中にある時には、どのように祈るか頭で考えることができない時があります。神に何を求めればよいのか分からない時があります。しかしあなたの心はいつも神さまを賛美するということができます。いつでもあなたは両手を挙げて神を賛美することができるのです!あなたの生活の中に賛美があるとき、心に恐れを持つ余地がありません。
私たちはみな、困難な時を通ります。皆、試練を通ります。恐れがあります。しかしその時こそ、賛美をするのに一番ふさわしい時なのです。神さまを称える時です。あなたが両手を挙げる時に、それはまるで、小さな子どものようです。子どもは父親が抱き上げてくれるのを待っています。ですからあなたが同じように神さまに手を挙げる時、父であるあなたの神があなたを抱きかかえて立ちあがらせてくださいます。あなたを助けてくれます。あなたを新しくしてくださいます。そして力づけてくださいます。主への賛美が最も力強い時に、あなたの恐れは最も弱くなります。ですからあなたの賛美のボリュームを上げてください!そうすることによって、あなたの恐れは小さくなっていきます。二番目は神を賛美することです。

そして三番目、「神は私とともにいる」と信じることです。詩篇百十八篇六節をお読みします。

『主は私の味方。私は恐れない。人は、私に何ができよう。』

神が私と共にいると信じるとき、恐れは消え始めます。誰が私と共にいるのか?なぜ私には恐れがないのか?なぜなら神さまが私と共にいてくださるからです!いつ私に恐れがあるのでしょう?神が私と共にいないと信じるときです。
さて、問題は神があなたと共にいるのか、いないのか、ではないのです。なぜなら聖書には、神はいつもあなたと共にあると書いてあるからです。あなたがその存在を認めても、認めなくても、受け入れても、受け入れなくても、神はあなたと共にいるのです!
では、私たちがするべきことは何でしょうか?神が私と共にいることを信じること、ただ日曜日にだけ、教会に来る時だけ神さまが共にいるのではなく、また礼拝を守っている時にだけ神さまが一緒にいるということではなくて、毎日神さまが私と共にいるということを信じることです。神が私と共にいてくださるのは、良い時だけではなく、悪い時にもそうであることを信じることです。
ですからこう言いましょう。「私は神さまが共におられることを信じます!」と。いつですか?いつもです!どこでですか?どこにいてもです!主は私と共におられます!

新約聖書の中でパウロはこう言っています。ローマ書八章三十一節、

『では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。』

もし神があなたの味方であるなら、だれが敵対しても大したことではないのです。もし神があなたと共におられるなら、安心で安全でいられるのです。あなたは今問題の中にいますが、あなたの「父」である神が共にいてくださいます。あなたに敵がいますが、父である神が共にいてくださいます。あなたには病気がありますが、あなたの父である神は共にいてくださいます。大きな危機に遭遇しているかもしれません。しかし父である神が、あなたと共におられます。今まで彼はあなたを見放さず、見捨てることはありませんでした。良い時も、悪い時もあなたと一緒にいてくださったのです。

一つの聖書箇所を読みたいと思います。後でこのメッセージをすべて忘れても構いませんが、次のこのみことばだけは覚えていってください。イザヤ書四十一章十節、

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』

主はあなたと共におられます。それが三番目のポイントです。

それでは最後のポイントについてお話しします。「神の愛の中にとどまる」ことです。二つのみことばを読みたいと思います。第一ヨハネ四章十二節、

『いまだかつて、だれも神を見た者はありません。もし私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにおられ、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。』

そして第一ヨハネ四章十八節、