2021年8月8日(日)新城教会牧師 滝元開

マラキ書4章2節

『しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。』

ハレルヤ!今日はこうして賛美礼拝を主のみ前におささげできる、大きな恵みを本当に心から感謝します。皆さんの祈りに支えられて、暑い夏ですけれども、私たちもこうして守られていることを心から感謝します。夏が過ぎれば過ぎるほど、どんどん顔が黒くなって、「あなたは何人だ?」と言われるような、そんな今日この頃でございますけれども、本当にここまで守られてきていることを心から感謝します。

今日は「いやしの翼に」という賛美を今ささげましたが、そのみことばをテーマに学んでいきたいと思います。もう一度、最初にお読みいただいたみことばをお読みしてから始めていきたいと思います。マラキ書四章二節、

『しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。』

前回、私がこの講壇でみことばを取り次がせていただいたのは、六月一七日でした。その時にはもうこのみことばの賛美が与えられていましたので、そこからのみことばを取り次がせていただくのかなと思っていましたら、違うみことばが与えられて、「あなたの天幕の場所を広げよ」というテーマでした。ちょうどヘブンズアイスクリーム&コーヒーがオープン直前というところで、神さまが新たな扉を開いてくださった、そのような中でくださったみことばでしたけども、神さまは本当に新しいことを、この街に始めてくださっていることを、この地域に対して主が確かに新しいことをしてくださっていることを信じて、心から感謝します。

その六月十七日、ちょうど二ヶ月前に新城教会ニュースが発行された日でした。今日もまた再び新たなニュースが発行される日で、新聞折込に四万数千部が折込まれます。前回、特別に発行のために皆さんにお祈りいただきました。「このニュースが用いられて神さまのみ業がなされるように」と祈っていただいて、そしてその礼拝を終えたわけですけども、その日の夕方のことでした。
私と家内と、この地域を歩いて散歩していました。そうしたら帰りがけに一人のご婦人から声をかけられました。全くクリスチャンでない方なんですけども、その方が「聞きましたよ!」と、おっしゃってくださいました。そのニュースは、どういった内容だったかと言いますと、私が巻頭言を「賛美に力がある」というタイトルで書かせていただいて、賛美の中で働かれる神さまの証しを書きました。そしてその中に、「主の愛が今」の歌詞を書いて、ザワメキのYouTubeチャンネルのQRコードを載せました。普段のニュースの最後の文章は「一緒に祈ってください。」というのが締めになっているのですが、前号は「一緒に歌ってください。」というふうにお願いして新聞折込に入れたわけですけども、そうしたらそのご婦人「聞いた」とおっしゃってくださって、そして「本当にいい歌でした。」と、すごく喜んでくださったんですね。皆さんにお祈りいただいたその日のうちに、そのような神さまのご栄光を現していただいたので、とても本当に感謝でした。

今日もこの新たなニュースができあがっています。そして今日午後から、第三弾になるんですけども、このニュースを手配りでこの地域を歩きます。今日は、猛暑ですけれども、毎回、子どもたちと少数の大人たちで頑張って戦っておりますので、是非お時間のある方、ご出席いただいて、炎天下の下に少しでも、短い時間で終わるようには、やっぱり皆さんに来ていただくしかないので、助けていただければと思います。ご参加してくださった方にはヘブンズアイスクリームのアイスクリームが振る舞われますので、是非アイス目指して、リバイバル目指して参加していただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

そしてその第二弾のチラシ配布の日は新城教会ニュースを戸別で配布しました。その時にも、配布後またすぐに反応がありました。その日の夕方でした。この地域を配っていますけども、私が家にいたら、ピンポン!と来ました。どなたかな?と思って見たら、顔が見えないんですね。ちょこんと頭の上だけが見える少年の顔だったんですね。そうしたら、「僕だよ!」と言ってくれた一人の少年がそこに立っていました。クリスチャンじゃない子なんですけど、そうしたら彼がなんとこれを持ってきてくれました。
 「ヘブンズアイスクリーム&コーヒー」と自分で一生懸命書いて、そしてそのニュースにちょうど出ていた私の顔を書いて、「あきちゃんのお父さん」と書いてあるんですよ。このちょっとハゲ具合が私そっくりなんですけど、わざわざ作って持って来てくれて、本当になんかこの地域の中に神さまが働いてくださっているなという、そんなことを強く感じた恵みの時であったことを心から感謝します。神さまは本当に今働き始めてくださっておられますので、いえ、神さまはずっと働き続けておられますけれども、さらにこの地域に対して働いてくださっておられるので、そして、ここに新しい扉が開かれていますので、主に期待して、今日もこの地域に出て行きたいと思います。

そして先週の土曜日、七月三十一日の土曜日に、久しぶりに「世界宣教とりなし登山」がありました。四谷千枚田という所に行きましたが、その時の写真がありますので、ご覧いただきたいと思います。
 ほとんど子どもたちですけれども、子どもたちが「世界宣教のために」ということで、ここを歩いてくれました。この場所がまるで以前に行ったネパールやペルーのような所なので、「ペルーやネパールにリバイバルが来るように!世界にリバイバルが来るように!」という、そんな祈りと共に一緒にここを歩くことができました。

 

この場所からみんながずっと歩いて、この一番上のこの辺りまで行きました。

ご覧の通り、上に屋根がございませんので、炎天下の中の一時間、彼らは本当に頑張って歩いてくれました。「リバイバルのために!」とみんなで歩きました。そして上に行って、お弁当を食べた後に、みんなで賛美して、宣言しました。「息よ四方から吹いてこい!」と宣言して、賛美して、そうしたらいつもお祈りいただいている滝元寛太君の末の息子さんも来ていて、彼が「息よ四方から吹いてこい!ペルーに!ネパールに!」と言った時に彼が一言、「寛太に!」と、そう言いました。だからみんなでそのパパの名前をみんなで呼んで、そこにも主の息が吹いてくるように!と、そんな叫ぶ時間が与えられました。神さまはその幼子の声を聞きとげてくださっていると信じています。
さらにその日、また再びバスのほうに戻って行きました。そうしたら、少し雲が出てきたかと思ったら、だんだん黒い雲になりました。黒い雲になったかと思ったら、ピカッと光ったかと思うと、バコーン!!と、すごい雷が鳴り出して、今にも雨が降り出しそうな、そういった空気になりました。風が吹いて、何度も何度も、その雷が、バコーン!!バコーン!!と、凄まじいほどに大きな音で、主がみ声を出しておられる感じでした。
この時、十七名ぐらいだったかと思うのですが、このメンバー全員がバスに乗り込みました。最後の一人の子がバスに乗り込んでバスの扉を閉じた瞬間、何が起こったかと言ったら、ザー!と、雨が降ってきました。もう子どもたち、「うわー!最後の一人が乗った途端に雨が降った!イエスさまだ!」と、彼らが身を持って、本当にイエスさまが生きて共におられることを肌で感じて、主からの信仰を心に刻まれる、神さまの祝福の時を体験できて、本当に心から感謝でした。
子どもからお年寄りに至るまで、またこの教会にはインターナショナルの方々もいらっしゃいますので、本当に一つとなって主のわざに励んでいきたいと思います。

ただ一方では、コロナウイルスが蔓延していまして、今後どうなってしまうのだろうかと、そのように不安を抱えておられる方もたくさんいらっしゃるかと思います。このコロナウイルスの蔓延に伴って、世界中で一番読まれたみことばが一つあるんですね。それはどのみことばかと言うと、詩篇の九十一篇でした。私も昨年の三月ぐらいの時に、そのみことばをちょうど開かせていただいたんですけども、そのみことばの一部をお読みしたいと思います。詩篇九十一篇三~六節、

『主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。』

以前も少しご紹介したことがあるんですけども、日本にNRAという、「日本リバイバル同盟」という、リバイバルを求めるグループがあります。その一員に私も加えさせていただいているんですけども、その「NRA便り」というのが定期的に送られてくるんですね。
そして今回、そこを見たら、すごく恵まれた証しが載っていたので、ちょっとご紹介したいんですけど、その証しは鹿児島県のお一人の牧師先生からでした。その牧師先生はもうご高齢で白髪の方なんですけども、ザワメキで行かせて頂いたり、ご一緒にイスラエル旅行にも行ったりしました。また、あの地域の合同の賛美集会をザワメキでさせていただいた時に、一番ご高齢であるのにも関わらず、ぴょんぴょんぴょんぴょんずっと跳ねて賛美しておられたので、すごく印象的だったんですけど、その先生の教会はすごく田舎にあって、そんなに大きな教会じゃないんですね。
それでコロナが始まって、その教会も本当に大変だったにもかかわらず、でも主が守ってくださったのは何によって守られたかというと、それは他でもなく神さまのみことばだという、そういった証しでした。神さまが私たち本当にみことば根付くことによって守られたので、本当に感謝だと。特にそのコロナの中で教会員の方々が、先ほどの詩篇九十一篇、これを全て暗記する人たちが続出したと言うんですね。暗記して、「主が私を守ってくださる。その翼の陰に私たちは身を隠すんだ。」と、そういった告白をしてきたら、皆さん、どんどんどんどん元気になって、教会に来られない人たちは一生懸命、献金は送金してくるし、そして教会に人が来ていただけないんだったらということでトラクト配布を始める人がいたり、牧師先生がお年寄りなので、若い人たちはSNSとか、YouTubeしたりして伝道をはじめ、いろんなことが広がって、結果として救われる魂まで起こされた。いや本当に、これは大きな主の祝福で、恵みですという証しでした。
その土台にあるのは何かと言ったら、「みことばです」ということが書かれていました。私たちも本当にそのみことばに根付いて、もう一度、特にこれからコロナがどうなるか分からないようなそのような状況の中に私たちは置かれていますけれども、そのような中でも、私たち一人ひとりがみことばによって守られるということを信じて、このみことばをもう一度お読みしたいと思います。詩篇九十一篇三~六節にこう書かれています。

『主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからである。主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びをも。』

このみことばを、もう一度、皆さん握りしめて、今週も前進していただければと思いますので、よろしくお願いいたします。

またローマ人への手紙五章三~五節、

『そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。』

「そればかりではなく、患難さえも喜んでいる。」と言うのです。今、本当に患難な時代の中にありますけど、この今の環境をも喜ぶ。そこから主は何をしてくださるかと言うと、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性、そして品性から希望、そしてこの希望は失望に終わることがなく、なぜなら神さまの愛が私たちの心に注がれている、それゆえだということで、この患難な時代の中でも患難をも喜ぶ。「主を喜ぶことはあなたがたの力だ。」とみことばにありますので、喜びを持って進んでいただければと思います。

先週は、コロナが始まった後、初めて、一つの教会からお招きいただいて、ザワメキで奉仕をさせていただくことになりました。実は一度お電話をいただいた時にお断りしました。「私たち、このような状況なので、行くことが難しいのでお断りします。」というふうにお伝えしました。そのようにお伝えしたので、きっともう再びそのようなお電話はないかなと思ったら、また再びお電話を何ヶ月後に頂いて、ちょうどコロナが少しおさまった時に、「どうしても来てください。」とおっしゃってくださったので、意を決してお伺いすることになりました。
その教会は全日本リバイバル甲子園ミッションの時から参加してくださって、以来ずっと月に一度、PPHというのをしてくださっているんですね。「PPHと言ったら甲子園ミッション」という感じだったんですけど、甲子園ミッションの時に、その準備の時から始まった賛美と祈りの時間ということで、PPHが日本中で行われていましたけど、その教会まだ今も一生懸命、月に一回、リバイバルを求めて、日本と世界がリバイバルされて、そして私たちもリバイバルされて宣教に遣わされていきましょう!という、そういったテーマでの集会でした。
朝と夜の集会だったんですけど本当に祝福されて、それぞれ朝はご婦人たち、そして夜は若者たち。入れ替わる感じだったんですけど、すごく大きな恵みでした。その教会、ちょうど、このコロナの中で何が起こっているかということを、いろんなお証しをしてくださったんですけど、なんと新会堂を今、建てているんですね。こんな立派な新会堂が建てられていました。
その教会、行くたびに何か新しい建物が広がっているんですけども、今この新会堂がまもなく完成して、この八月末には受け渡しがなされるというふうにおっしゃっていました。いや~、本当に神さまがこの困難な、患難の中にあっても働いてくださるという、そんな証しを見させていただいて感謝でした。

 この会堂には五百名入ることができると仰っていました。今礼拝何名くらい集われていますか?と聞くと、「四百名集まっている。」とおっしゃっていたので、もういっぱいじゃないかと、そんな思いがありましたけども、でもすごく若者からお年寄りまで、熱心なんですね。一生懸命祈っていました。
早天祈祷会、この新城教会も今、土曜日にさせて頂いていますけど、その教会も土曜日の早天祈祷会、毎週四十人くらい来ていたと言うんですよ。いや、すごいな、四十人の人たちが来て。でも新城教会も今、三十人ぐらい来てくださっていますけど、四十人来ていて、でもその後どうなったかと言ったら、今は八十人来ている!と、そうおっしゃっていました。主に燃えて、この時、主に期待するという、そのような想いを持ってきてくださっている人たちなんだなぁというふうに見えました。
また、その教会、昨年の五月に、その教会から一つの開拓伝道のための教会を派遣したと言うんですね。その教会から十キロほどの所にある場所に教会を建てて開拓伝道。普通、開拓伝道と言うと、使命を持った夫婦が教会を建てる!と言って、遣わされて行くというのが常でしたけど、そこの教会の牧師先生が夫婦で教会を始めることは本当に大変で、何年も何年もゼロで、誰も来てくれなくて、やっと一人来てくれて、そしてだんだん積み上げて、かと思うと問題が起こってという繰り返しであれは本当に大変だから、そこの開拓の教会に三十名遣わそう!という、そういったビジョンが与えられたというのです。だから、「そこに重荷を持つ人!」と言ったら、三十名が集められて、そこで礼拝が始まって、すごく祝福されて、その地域が本当に変えられているということを聞くことができて、とても喜びでした。
そしてその後どうなっていますか?と聞いたら、なんと三十名で行ったのが、今礼拝は五十名で行っていると、そうおっしゃっていました。神さまの恵み、素晴らしいですね。

 そして、PPH、朝と夜だったんですけども、彼らは本当に熱く一生懸命賛美してくれるんですね。賛美チームがこんな感じで助けてくださいました。今回、娘の暁起も一緒に行って、暁起も証しするようにと依頼をいただき、どういうわけか暁起も一緒に行ったんですね。「こんな親からでもこんな素晴らしい娘ができるという証しになるじゃないですか」と、私の友人のスタッフの先生がそうおっしゃっていたんですけども、私たち二人で、ザワメキでこういったスタイルで行くのですが、そこの教会の賛美チームの人たちが一緒に手伝ってくれました。彼ら本当に忠実にザワメキを一生懸命再現して一緒に歌ってくれるんですね。ちょこっとだけ、リハーサルの映像があるでお聴きいただきたいと思います。

これだけですけども、ザワメキ十三の一曲目、「ときの声をあげよ」なんですけれども、それを完璧にコピーしてくださって、そして準備してくださいました。本当に感動しました。その熱さというか、忠実さ、私たちにもそういった部分、欠けている部分はもう一度、燃え立たせていただかなかったらいけないなと、そのように感じた、そんな素晴らしい奉仕の時で、また皆さんにお祈りいただいて支えられて、することができて、本当に心から感謝します。

それでは今日の本題のみことばに入っていきたいと思います。先ほどお読みしたマラキ書四章二節のみことばでしたが、実はこのマラキ書の三章と四章というのは、本当は一つに繋がっていたと言うのです。新改訳はどういうわけか、三章から四章に二つに分かれているという、ある聖書学者がそのように言っておりましたが、三章からこの四章の少しの部分を続けて読みたいと思います。三章十七節~四章二節、

『「彼らは、わたしのものとなる。--万軍の主は仰せられる--わたしが事を行う日に、わたしの宝となる。人が自分に仕える子をあわれむように、わたしは彼らをあわれむ。あなたがたは再び、正しい人と悪者、神に仕える者と仕えない者との違いを見るようになる。見よ。その日が来る。かまどのように燃えながら。その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。来ようとしているその日は、彼らを焼き尽くし、根も枝も残さない。--万軍の主は仰せられる--しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る。』

この十七節の所に、「わたしが事を行う日に、」これは終末の預言的なみことばの一つであるわけですけれども、神さまが事を行われるという、そのような日が来るというのです。それがこの四章一節の、「わたしが事を行う日が来るぞ!」と言って、続けて語られたのが、「見よ。その日が来る。」そのように書かれています。
そしてこの中で、もう一度、四章一節を見ると、途中にこのように書かれています。『その日、すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなる。』神さまご自身の訪れというのは、素晴らしい祝福と共に、神さまのみ声に従わないと逆に焼き尽くされてしまう、滅びの時となってしまうという、ある意味、恐ろしいことが書かれています。だから私たち本当に主を恐れて歩まなかったらいけないなというふうに思います。すべて高ぶる者、すべて悪を行う者は、わらとなってしまう。私たちが焼き尽くされてしまうような者となってしまうことがないようにと、心から本当に願わされます。

明牧師がよく開いていたみことばに、歴代誌第二の七章十四節、ある意味リバイバルの条件、リバイバルの第一条件みたいなことが書かれているみことばかと思うんですけども、お読みします。

『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、祈りをささげ、わたしの顔を慕い求め、その悪い道から立ち返るなら、わたしが親しく天から聞いて、彼らの罪を赦し、彼らの地をいやそう。』

そのように書かれています。『わたしの名を呼び求めているわたしの民がみずからへりくだり、』と書かれています。私たち、本当にへりくだりというのが、リバイバルのための第一条件だという事をもう一度、心に刻んでいきたいと思います。
明日は八月九日ですけども、何の日かご存知ですか。私の母、滝元清子が天に帰ったその日です。丸五年になります。そして八月一日が明牧師が天に帰って丸六年という日を、先日迎えましたけども、二人の働きというのは、やっぱりこの新城教会にとって、この七十年間を振り返る時に、本当に一歩一歩、大きな働きをして、ここまで導かれたなぁと思うんですけど、でもやっぱり本当に絶えず祈って、いつもへりくだって主の前に身を屈めていたなと、そんな思いがあります。二人でよくこの会堂の前に来て、跪いて祈っていた、そんな姿を思い出しますけども、やっぱり本当にへりくだって祈り続ける。それが私たちから消え去ってしまったら、やっぱり大変なことになってしまうので、私たちは本当にへりくだりをもって、主に仕える、そのような者でありたいと心から願う者であります。

そして、さらにみことばを学んでいきたいと思いますけども、マラキ書四章二節に戻っていきたいと思います。

『しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。』

今日の一番のテーマですけども、私たちが主を恐れるというのは、ある意味、この『わたしの名を恐れるあなたがたには、』これは原文を見ると、「私の名を信じるあなたがたには、」という、そういった意味もあるそうですので、私たち一人ひとり、神さまを信じる人には義の太陽である主イエスさま、メシアであるイエスさまご自身を私たちが迎えることができるんですね。
そしてその義の太陽が上り、その翼にいやしがある。その翼というのは神さまの守りを表したみことばであるわけですが、「翼」というキーワードで聖書を開くとたくさん出てきます。出エジプト記十九章四節、

『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。』

イスラエルの民が出エジプトした時は、二百万人以上という、その多くの人たちもその翼に載せて運ぶほどの守りというのが、神さまの翼にはあるということを見ることができます。

また詩篇五十七篇一節には、