「今、お勧めします。元気を出しなさい。」

 

『神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。罪ある人たち。手を洗いきよめなさい。二心の人たち。心を清くしなさい。』

 

と書かれています。神さまご自身に私たち近づくためには、私たちが近づく必要があるんですね。私たちが神さまに近づく時に、神さまも私たちに近づいてくださって、神さまのみこころを行うための力を、油注ぎを与えてくださいますので、元気を出して、もう一度、元気を出して、祈り始める、そのような者でありたいと思います。

 

二週間前ぐらいでしょうか。日曜日の午後のプログラムがリバイバル聖会というプログラムでした。二週にわたって行われて、そして牧師やスタッフ六名が二週にわたってみことば取り次ぎましたけども、その時私もその二十分間のメッセージのために準備をさせていただいたんですけども、その時与えられたみことばが、私の中ではとても意外だったんですね。現代訳の聖書を読んでいたら、ふと私の目に飛び込んできたのが、『私たちのランプは消えてしまいそうです。』と、そのことばだったんですね。私たちのランプ、与えられた神さまからの灯火が消えてしまいそうです。というのが、「これ、えっ?そうですか?」と、本当にハッとさせられました。このみことばはマタイの福音書のみことばなんですけども、マタイの福音書二十五章八節、

 

『ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』

 

主が帰られるのを待ち望んでいた愚かな娘と賢い娘、いずれも主が帰られる日を待ち望んではいたんですね。そして主がいつ来られるかと灯火を掲げて待ち望んでいたわけですけども、賢い娘たちはいつイエスさまが帰って来られてもいいように油を満タンにしていた。しかし賢くない愚かな者たちは、「いつか来るだろう」と、後回しにしたんですね。どうしてもしなきゃいけないことたくさんじゃなくて、「神さまはただ一つです。」と、そうおっしゃっておられますけど、私たち絶えず油を満たしておかなかったらいけないんですね。だからこの事を主に教えられた時に、すごくドキッとしたんですね。

油多ければ多いほど多いし、多いのはちょっと特殊なあぁいった人たちが多く頑張ってもらって、私たちはまぁ適当にちょっとちょっと減っちゃったら時々充電しに行って少しもらって、それじゃまた帰ってきます!と、それまでは自分の好き勝手な事してまた減っちゃったら来るというのではなくて、もし足らなかったらどうなるかと言ったら、イエスさまのみ前に立てないということなんですよ。だからこれは本当に恐ろしいことで、少ないか多いかというよりも私たち絶えず満たしていただかなかったらいけないというのがこの主のみことばですので、私たち本当にそのために、主のご臨在のみ前にもう一度額ずく者でありたいと心から願います。

 

イスラエルの民が出エジプトとして、四十年間荒野をさまよいましたけども、主は絶えず、昼は雲の柱、夜は火の柱を持って導かれたんですね。

 絵に描かれたものがありますけどこんな感じだったと思うんですね。夜は火の柱が立っていた。主がそこにおられる!本当に恐ろしいほどに主のご臨在というのがあったわけですけど、でも主のご臨在のみ前に私たちは絶えず出続ける必要があります。

そしてそのために必要なのが、これ見ると、この幕屋の中ですね。幕屋の中は聖所と至聖所に分かれています。そしてその聖所の中には燭台、この七つの燭台というのがあるのですが、そこにいつも油を備えて、途切れないようにしていました。出エジプト記二十七章二十節に、

 

『あなたはイスラエル人に命じて、燈火用に上質の純粋なオリーブ油を持って来させ、ともしびを絶えずともしておかなければならない。』

 

絶えず灯火をともしておかなかったらいけない。二十四時間燃やし続けていたと思います。そして二十七章二十一節を見ると、

 

『アロンとその子らは、あかしの箱の前の垂れ幕の外側にある会見の天幕で夕方から朝まで、主の前にそのともしびを整えなければならない。これはイスラエル人が代々守るべき永遠のおきてである。』

 

夕方から朝まで。だから寝ている間も主のみ前にはこの灯火をともし続けなければならないというのが主からのみことばです。しかもそれがどのような油かと言ったら「最良のオリーブ油」とあります。適当に火さえ燃えていればいいというものではなく、最良の主からのオリーブオイルを絶えず、油注ぎを求めて歩む者でありたいと心から願います。

 

また私たち絶えず、主からの新しい油注ぎというのを本当に求め続けなかったらいけないと思うんですけども、イザヤ書のみことばの中に、十章二十七節、

 

『その日になると、彼の重荷はあなたの肩から、彼のくびきはあなたの首から除かれる。くびきはあなたの肩からもぎ取られる。』』

 

と書かれています。私たちはいつしか、今回のこの一年間のコロナとの戦いの中で、リモート生活になって、知らぬ間に自分にかけられているくびきというか、なわめというか、がんじがらめになってしまったくさりというものがあるのではないかと思います。

これをKing James訳を見ると、『神の油注ぎによってくびきは打ち砕かれる。』と書かれているんですね。日本語の聖書では、「神の油注ぎ」という言葉は出てこないんですけども、神の油注ぎがそのくびき、私たちを動かなくしてしまった部分を、油注ぎが打ち砕かれる。ですから本当に私たち、もう一度、元気を出して、主のためにご奉仕させていただくために油注ぎを求めていく者でありたいと心から願います。

 

油注ぎ、どのようにして私たちは受け取っていったらいいのかと言ったら、やっぱり他でもなく祈る事が一つなので、是非祈っていただければと思うんですね。本当に今週の土曜日から始まります早天祈祷会、ここで行われますので、ぜひご参加ください。ご参加できない遠方の皆さんはそれぞれの場所で、また一緒に心合わせて祈ってくださったらいいと思うんですね。やっぱりなんか心合わせて祈る事ってすごく大きな力になるなぁと思います。同じ時刻に一緒に行くと、分からないけど同じ油注ぎがあるというのは事実ですので、是非覚えて祈っていただければと思います。

 

先週水曜日は私が毎週担当させて頂いている中高生の集会「ユースプレイヤー」というのが行われました。特にこの自粛になってからはLINEを通してユースプレイヤーは開かれるんですね。それでそこで私はいつも水曜日の夜八時になると中高生のグループ通話にオンするんですよ。それで、「さぁ今日は何人の人が来てくれるかな。」と思って待つんですけど、最初の頃は結構みんな顔を出してくれて、結構遠方から今まで絶対出られなかったような人たちまで顔を出してくれるようになって、いや~祝福だなぁと思ってたんですけど、最初顔を出してみんな画面を見ながらやってたんですけど、そのうちだんだん皆顔を隠すようになったんですね。でも出ないよりずっといいので、賛美して祈って、証しして、みことばを学んでということをずっとしました。

でも、そのうち一人去り二人去り、だんだん消えていくんですよ。「今テスト中です。」とか言って、でもテスト明けたらくるのかなと思ったらそうでもないし、それである時はもう私ともう一人の兄弟サシですよ。「それじゃぁユースプレイヤー始めましょう。」とか言って、一対一のユースプレイヤーがあったりしたんですね。多くても三人、四人。幾日もそういった日が続きました。パウロが太陽や星が見えない幾日も見えないような、ちょっとそんな気分にもならないわけでもなく、でもこの中でも歌うことに意味があると思って一生懸命してたんですね。

でも先週のユースプレイヤー、久々に幾人か出てくれたんですよ。春休みになったということと、無事学校も進路も決まったということで、その時の写真がこれなんですね。

 はい、全部で八名でした。本当に楽しくできたんですね。嬉しかったですね。この写真ですと一番喜んでいるのは私ですけど、でもみんなもやっぱり顔を出してくれるとなんとなく皆繋がるんですよ。それで部活でこうだったとか、春休みなのに宿題が多いとか、そういう証しをみんなしてくれるんですけど、でも本当に恵みの時で心から感謝しました。

この時、私一つのみことばがすごく心に来ました。詩篇百三十三篇ですけど、

 

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれたとうとい油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。』

 

私たち一つ集まるところに、大祭司アロンの油注ぎというのが注がれると言うんですね。ですから本当に私たち、リモートであっても集まることを辞めちゃいけないと思うんですね。

こんなみことばがあります。ヘブル人への手紙十章二十五節、

 

『ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。』

 

またマタイの福音書十八章二十節には、

 

『ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。』

 

私たち、本当に集まるところに主もおられて、そしてそこに油注ぎがあって、油注ぎが私たちにかけられているくびきを打ち砕いてくれるという、そういったことですので、そんな祝福の中を歩むことができればと思います。詩篇百十篇三節には、

 

『あなたの民は、あなたの戦いの日に、聖なる飾り物を着けて、夜明け前から喜んで仕える。あなたの若者は、あなたにとっては、朝露のようだ。』

 

本当に若者たちが朝露のように祝福を開いてくれた、そんな気持ちでしたけども、昨日の登山は乳飲み子から幼稚園の子たち、そして小学生という子たちが主で、全員で二十二名でしたけども、本当になんか一つ祈る中にある神さまの油注ぎを求めていきたいと思うんですね。