「恐れないで。神があなたと共にいる。」

2021年2月14日(日)新城教会牧師 公畑フェルナンド

ピリピ人への手紙4章7節

『そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。』

ハレルヤ!感謝します。今、石塚さんからの素晴らしい賛美、心から感謝します。もう昔のことですが、若い時にこの讃美歌をよく歌いました。とても感動しました。感謝します。
いつも私たちのために、インターナショナル部会のために祈ってくださり心から感謝します。このパンデミックの中で、神さまはインターナショナルの中にも新しい人を送ってくださり、イエスさまを信じて、今日は三人の方がバプテスマを受けられます。本当に心から感謝します。

私たちは今、コロナウイルスによる世界的な感染症の中に生活しています。それは私たちの生活を百八十度変えてしまいました。そう思いませんか?
新しい言葉を私たちにもたらしました。例えば「ソーシャルディスタンス」や、「予防的隔離」や、「自主隔離」など新しい言葉をもたらしました。また新しい意味で使われるようになった言葉もあります。例えば、「ぜいたく」という言葉です。以前は「ぜいたく」という言葉は、何か手の届かないような、高価なものという意味でした。私たちの手に入らないもの、それが贅沢でしたが今はその意味が少し変わりました。例えばマスクなしで自由に空気を吸うことや、マスクなしで他の人の顔や笑顔を見ることです。また握手であいさつすることや、カフェや食事に友人たちと行ったりすることが贅沢となりました。健康でいられることも贅沢となりました。また病院に入院することなくいられることや、コロナウイルスにかかっていないことが、最近では贅沢だと考えられるようになったのです。また、私たちが今日教会に集まることができるのも贅沢ですし、また愛する人々と一緒にいられることも贅沢なのです。これらすべてのことは、以前から贅沢なことではありましたが、私たちはそれらに価値を置いていませんでした。
また以前は恐れがありませんでした。恐れのない世界も贅沢だと思います。しかし、世界的感染症下で多くの人は恐れるようになりました。今、恐れは多くの人に感染しています。
もっと心配なことは、それが子どもたちにどのような影響を与えているかです。コロナウイルスによる恐れは私たちに打撃を与えました。そして、私たちが何を子どもたちに与えているのかを考える必要があります。子どもたちにも恐れを与えてしまっているのではないでしょうか?

私たちはどのように恐れに立ち向かっていけば良いのでしょうか?
まず私たちがしなければならないことは、恐れがどのとうなものであるか確認することです。私たちは何を恐れているのでしょうか?コロナウイルスを恐れているのでしょうか?私たちに触れる人を恐れているのでしょうか?近くにいる人が咳をするのを恐れているのでしょうか?家族の一人が感染するのを恐れているのでしょうか?自分自身が感染するのを恐れているのでしょうか?実に私たちには多くの恐れがあるのです。教会に行きたくないという人もいると思いますが、恐れがあります。
しかし皆さんに知ってほしいことがあります。私たちはこの状況から必ず抜け出すということです。そして全てが「良し」となることを覚えてください。この状況下から私たちは脱出することができます。

私はある印象的な本を読みました。マックス・ルケードという方が書いた本です。タイトルは「あなたはここから脱出する。」です。この本はまだ日本語に訳されていないと思います。第二次世界大戦中の出来事についての話です。この中で、当時のイギリスのことが書かれています。当時の指導者たちが国民を鼓舞するための三部作からなるポスターを作ったことが出てきます。このポスターは二百五十万枚印刷されました。それらには順番があり、またその特徴として、ジョージ六世の王冠が描かれていました。そこに記されている文字はすべて大文字でした。

最初のポスターが出されたのは一九三九年の九月でした。そのポスターには、こう書かれていました。「あなたの勇気、元気、決意が勝利をもたらす。」
二番目に出たポスターには、「自由は危機に瀕している。全力で防衛せよ。」とありました。
第二次世界大戦中のことであったことを覚えてください。二つのポスターは町中に貼り出されました。しかし、三部作だったと言いましたが、三番目のポスターは使われることがありませんでした。そのポスターは、ドイツがイギリス本土に上陸した場合に使用されるはずでした。しかしイギリス空軍のほうがドイツより上回っていたので、ドイツがイギリス本土に上陸する状況が訪れませんでした。ですから、このポスターは準備されていたのですが、使われることはありませんでした。
このことの何が印象的なのでしょう?三番目のポスターの存在は、戦後長く世に知られることがありませんでした。実は二〇〇〇年になって初めて存在が明らかになったのです。北イングランドの一人の本屋が、あるオークションで見つけました。落札した多くの本の中から偶然に見つけたものでした。この本屋はポスターを額に入れ壁に飾りました。世界はこのポスターの存在を二〇〇〇年まで知らなかったのです。
そのポスターには何と書いてあったでしょう?「Keep calm and carry on.」「平静を保ち、進み続けよ。」

 皆さん、これこそ私たちがコロナウイルスの感染症下で行わなければならないことです。平静を保ち、そして前へ進み続けることです。私たちが状況を変えることはできません。しかし私たちの生活の中に、心の安らぎをもたらすことはできるのです。心の中に平安を持つことができるのです。どのようにしてでしょうか?平静を保ちながらです。
もしかしたら、皆さんはこのポスターをご覧になったことがあると思います。本や、マグカップや、Tシャツなど、いろいろな種類のものを目にします。これは三番目の、その第二次世界大戦下で発行されるはずだったポスターです。二〇〇〇年に発見されてから世界中でとても有名になりました。

イエスさまが私たちの嵐を静めてくださるお方であることをご存知ですか?今日のメッセージの中心であるみことばを、次に読みたいと思います。ルカの福音書八章二十二〜二十五節、

『ある日のことであった。イエスは弟子たちと一緒に舟に乗り、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われたので、弟子たちは舟を出した。舟で渡っている間に、イエスは眠り始められた。ところが突風が湖に吹きおろして来たので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで弟子たちは近寄ってイエスを起こし、「先生、先生、私たちは死んでしまいます」と言った。イエスは起き上がり、風と荒波を叱りつけられた。すると静まり、凪になった。イエスは彼らに対して、「あなたがたの信仰はどこにあるのですか」と言われた。弟子たちは驚き恐れて互いに言った。「お命じになると、風や水までが従うとは、いったいこの方はどういう方なのだろうか。」』

神さまはこの言葉を、どんなに嵐が強くても大丈夫であるということを私たちに知らせるために用いられます。もしイエスさまがあなたと一緒に舟に乗っておられるのなら、悪いことは起こらないのです。
スペイン語の言葉であまり使われない言葉があります。それは「エントレメディオ(entremedio)」という単語です。この言葉は「エントレ」が「二つの物の」、そして「メディオ」が「真ん中」という意味なので、文字通り「二つの物の真ん中」ということを意味します。

この聖書箇所では、イエスさまが、「湖の向こう岸へ渡ろう」と言われた時と、彼らが実際に向こう岸に到着するまでの間が「エントレメディオ」、「真ん中」を表します。両極端の真ん中です。そして岸を出発してから、向こう岸に着くまでの間、イエスさまは彼らと共におられたのです。

例えば、何か物を無くしてからそれを見つけるまでの間、その中間地点はストレスという状態にあります。妊娠してから子どもが生まれるまで十か月の間は中間状態にあります。仕事を失った人が仕事を見つけるまでの期間は、不安という中間状態にあります。これが「エントレメディオ」という言葉の意味です。
そして、今私たちがいる状態が、ウイルスがなかった時代と、ウイルスが撲滅されるまでの中間状態にあるということを知っていただきたいです。「待つ」という中間状態、「失望・心配」という中間状態、「世界的流行下」という中間状態にいます。しかし神さまはあなたにこう言います。「平静を保ちなさい。私があなたと共にいるのだから。」と。

まず私たちがしなければならないこと。「平静を保て。一人ではない。」です。

今お読みしたルカの聖書箇所で印象的なことは、弟子たちは弟子たちだけではいなかったということです。弟子たちの舟にはイエスさまが一緒にいました。彼らはイエスさまと共にいたのです。そしてあなたの隣にはイエスさまが共におられることを知っていただきたいのです。ナホム書一章七節をお読みします。

『主はいつくしみ深く、苦難の日の砦。ご自分に身を避ける者を知っていてくださる。』

あなたは一人ではありません。イエスさまはあなたと共にいてくださいます。ですから、平静を失わないでください!平和の君であるイエスさまが、あなたの舟に乗っておられるからです。その平和の君は、あなたの舟の船長なのです。
ですから恐れないでください。あなたの目をイエスさまだけに向けてください。そうすればあなたは、主が嵐を静めてくださるのを見ることでしょう。あなたの嵐が治まるのをあなたは見ます。詩篇百七篇二十八〜三十節、

『この苦しみのときに、彼らが主に向かって叫ぶと、主は彼らを苦悩から連れ出された。主があらしを静めると、波はないだ。波がないだので彼らは喜んだ。そして主は、彼らをその望む港に導かれた。』

私たちもそのように向こう岸へ渡ることができるのです。なぜならイエスさまがこう言われたからです。「あなたは必ず向こう岸に着く。」と。ですから落ち着いてください。私たちは健康で安全に向こう岸に着くことができます。
もし嵐が続いても、落ち着いてください。イエスさまはあなたと共にいます。イエスさまはあなたの舟から降りていません。あなたと共にいるのです。彼こそは中間期の主なのです。
恐れに関する、他の聖書箇所もお読みしたいと思います。イザヤ書四十一章十節、

『恐れるな。わたしはあなたとともにいる。たじろぐな。わたしがあなたの神だから。わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る。』

同じイザヤ書四十一章十三節【新改訳2017】、

『わたしがあなたの神、主であり、あなたの右の手を固く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言う者だからである。』

イエスさまが目を覚ました時、何をされましたか?彼は嵐を静められました。そして全てが良くなりました。そして向こう岸へたどり着くことができました。問題は解決したのです!

第二番目、この中間期に何をさらにしなければいけないのでしょうか?「平静を保て。天使が取り囲んでいる。」です。

神さまは多くの天使たちを創造されました。しかしサタンが反逆を起こした時に、その三分の一はサタンと一緒に堕ちてしまいました。しかし考えればまだ三分の二の天使たちは残っています。その天使たちがあなたと共にいるのです。あなたに恐れを入れてくる悪魔一人に対して、三人、もしくはそれ以上の天使たちがあなたを取り囲んでいることを覚えてください。
そしてイエスさまの生涯に天使が登場する三つの場面を、聖書から見たいと思います。私はこれをとてもすごいことだと感じました。なぜならイエスさまご自身も天使たちを必要とされたからです。そうであれば私たちにはもっと必要です。

まず、第一場面、誕生された時です。ルカの福音書二章八〜十三節、

『さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現れて、神を賛美して言った。』

一人の天使の出現が、多くの天の軍勢となりました。ですからあなたが神さまをあがめる時、突然、天の軍勢があなたの周りを取り囲むかもしれません。

そしてイエスさまの生涯の第二場面は、ゲッセマネの園でした。ルカの福音書二十二章四十三節、

『すると、御使いが天からイエスに現れて、イエスを力づけた。』

この天使が現れたのは、イエスさまの生涯で一番暗い時で、励ますためでした。あなたにもあなたを励ます天使がいることをお伝えしたいと思います。

三つ目の天使が現れた場面は、復活の時です。ここには何人かの天使たちが出てきますので、何箇所か聖書を読んでみたいと思います。マタイの福音書二十八章二〜八節の前半をお読みします。

『すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、』

ここには一人の天使が出てきますが、この場面をヨハネの福音書で見ると、もっと天使が出てきます。ヨハネの福音書二十章十二節、