「70年が満ちた2021 回復と再建の年! 伝道礼拝 〜天下にイエス・キリスト以外、救いはない!~」

2021年6月6日(日)新城教会主任牧師 滝元順

使徒の働き26章17〜18節

『わたしは、この民と異邦人との中からあなたを救い出し、彼らのところに遣わす。それは彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。』

使徒の働き4章12節

『この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。』

皆さん、おはようございます。ハレルヤ!
インターナショナル賛美チーム、すばらしかったですね。調和のとれた素晴らしい賛美を聞かせていただきました。神の目で物事を見ると歌われていました。常に、そのようでありたいと願います。

今日は伝道礼拝ということで、分かりやすくお話をさせて頂きたいと願っています。
その前に、いつも家内のためにお祈りいただき、心から感謝を申し上げます。先週は、血液検査の値があまり良くなくて、抗がん剤投与が一週間延期されました。しかし本人は大変、元気にしております、医者が「ここまで回復したのは奇跡ですね。」と言われました。最初、命は三ヶ月、四ヶ月と宣告されたのですが、すでに一年八ヶ月になります。それも青息吐息ではなくて、元気に暮らしている彼女を見るとき、感謝に堪えません。それは主が生きておられる証拠です。今後は主のみ手に委ねておりますけれど、きっと主が勝利を与えてくださると信じています。

この教会も七十年が満ちて、七十一年目を迎えています。今年は新城教会にとって、新しい出エジプトだと私は思っています。先日お話した、ウッドデッキも完成しました。まもなく皆さんに利用していただけるかと思います。コロナが終結したら、きっと素晴らしいことを主がこの教会にしてくださると、心から信じています。

今の時代、神がいないとは誰も言えない時代となりました。なぜならば、人類は自ら、宇宙の神秘を解き明かしているからです。今私たちが住んでいる宇宙は、銀河宇宙と呼ばれます。しかしこのような星雲は、宇宙空間に二兆個以上存在するそうです。
銀河宇宙内だけでも、太陽のように自ら光を発する星は、一千億個以上あると言われます。惑星を入れたら何千億個の星々があるのかわからないです。それらがすべて調和して運行しているのは、普通ではあり得ません。神の存在を証明しています。神という用語を進化論者たちは使いたくないみたいですが、残念ながら、人間以上の知的存在が宇宙に存在することは明らかです。
ということは、その存在を特定するのは、宗教でも何でもありません。人間としてなすべき義務です。私たちが住んでいる地球は、太陽から三番目に位置します。宇宙全体から見れば、人とはなんともちっぽけな存在かと思います。しかし先週も語られていましたけれど、天地宇宙を造られた神が、我々人類を愛してくださっているというのです。その愛を感じなければ不幸です。また、人は使命を果たす事も出来ません。今や進化論は、崩れたのと同じです。

先日読んだ本にこんなことが書かれていました。ある星を観測したらそこに宇宙人が住んでいたと言うのです。それも、ロボットが住んでいたのです。すると進化論を信じる科学者たちは「このロボットはどのように進化し、自然にできたのだろうか?」と論議し始めたというのです。進化論者はそれと同じだと書かれていました。ロボットは誰かが作ったから存在するわけです。人間という完璧な存在が、地球に生息している事自体、神秘であり、創造主がおられる何よりの証拠です。創造主について関心を持つことは、正常なことであって、持たないほうが異常です。関心を持ったら、神自ら、ご自分を現してくださいます。
そもそも地球にあるものはすべて、人間を意識して造られていると言われます。例えば、柑橘類なども、人間が食べやすいように、あらかじめカットされています。みかんが自ら進化したのならば、私がみかんならば、食べられないように、皮が剥けないように、青銅の皮で武装すると思います。しかし皮も剥きやすくなっているし、赤ちゃんでも食べられるように、細胞の中にジュースが仕込まれています。人のために何ともうまくできています。その他全ての被造物も、人間を意識したかのように造られています。これは不思議なことです。誰が造ったのですか。創造主が造ってくださったのです。ですから神を求めたら、必ず、神と出会うことができるはずです。

先日、私の父が書いた「我土方なれど」の前半部分がドラマ化されました。ご覧になられたと思いますが、私の両親がクリスチャンになって、今、新城教会が七十一年目を迎えています。それ自体、神を証明していると思います。
父の生まれ故郷には、今なら一時間ぐらいで行くことができます。しかし昔は一日仕事でした。本当に山の中です。現在の設楽町津具、当時は「津具村」と呼ばれる地域でした。たいへん因習の深い場所で、今でも古い習慣にがんじがらめの村です。彼は戦時中に育ち、国家神道の教育を受けて、日本の神々を神としていました。神風が吹くと固く信じていたのですが、戦争に負けて、大きな失望があったそうです。「日本の神なんて本物じゃない!」。それで彼は無神論者になり、共産主義に傾いて、東京に勉強に行ったそうです。天地宇宙を造られた神とか、全く縁遠い男でした。しかしそんな人物が神と出会ったのです。救いを体験し郷里に戻って、新城教会が設立され、今も教会は生き残っています。それは彼がよくやったとかいう問題ではありません。神が生きている証拠です。神がご自分を現してくださった、滝元明という人物を救ってくださった証拠です。
このドラマ、大変うまくできていまして、主演の男優の方は伊藤信さんです。しかし聞いてみたら、初めて演じたというのです。新城教会の会員の方です。もう一人、穐近牧師の奥さんを演じた弓崎さん、あの方の演技もすごいですね。脚本も書いてくれました。素晴らしい演技でした。その他の方々も良かったです。
今日は、父がクリスチャンになるプロセスだけをクリップしてみました。ここから、彼がどのようにイエス・キリストを信じたのかを知ることができます。その中にキーワードがあります。それを意識してご覧下さい。
一つは、「口の告白」です。イエス・キリストを心で信じるだけではなくて、「イエスさまを信じます。心の中に入ってください。」という告白によって救われるという法則です。
そしてもう一つ、「罪を告白する」ということです。ゆえにキーワードは「告白」です。それでは五分少し、動画を見ていただきたいと思います。本編はYouTubeのほうに流れておりますので、全編一時間ぐらいの番組ですが是非、ご覧下さい。それではよろしくお願いいたします。

<<ビデオ>>

いかがでしたでしょうか。音楽もなかなかです。うちの関係者でこういう仕事をしている人がいます。彼が入れてくれました。
本物の神さまを知ることは簡単です。滝に打たれたり、洞窟に籠もったりしなくてもいいのです。イエスさまが救い主であるということを告白する、自分が罪人であることを認めて、罪を告白する時、霊の目が開かれるのです。ドラマの中で、大きな太陽も十円銅貨一つで見えなくなると語られていました。小さな罪でも、「神さま、私は罪人です。赦してください。」と告白するときに、霊的な目が開かれて、神が分かるのです。
私の父は田舎出身で、偶像ばかりを拝んでいた人でした。普通なら、絶対に神と出会うのは不可能な人でした。しかし神と出会って、生涯かけて主のために働くようになったのは、彼の情熱ではなくて、神が滝元明と出会って下さったことによります。その結果、七十一年間、教会が存在し続けています。それはイエス・キリスト以外に救いはない事の証明です。
父の証しを動画でお見せしましたけれど、こういう機会ですので、あまり話さないのですが、今日は、私の証しも少し加えさせていただきたいと思います。親子二代の証しです。

私は滝元家の長男として1951年に生まれました。なんと八人兄弟の家庭で、一人亡くなって七人兄弟でした。小学校三年の時に、新城市内に住んでいましたが、東郷村と呼ばれるこの場所に移ってきました。ここに来た時に、何と田舎だろうと思いました。一番のショックは、カレーライスに、肉の代わりにはんぺんが入っていた事でした。新城市内の文化とは違った文化がここにはありました。
私は新城小学校にいる頃は案外勉強ができたのですが、こちらに移ってからは勉強をしない悪い友達と出会いました。今もその関係が続いています。OM君、岡本正広、あっ、言ってしまいましたが、彼とつるんで、遊んでばかりいました。高校も普通科には入れなくて、近くの実業高校の農業土木科に入りました。高校を卒業したら働こうと決めていました。
ちょうどその頃、父の出身の地域に一つの教会があるのですが、設楽教会の牧師として、原田先生ご夫妻が赴任して来られました。お二人は東京で長らく教員をやっていた方々で、特に奥さんはニューヨークで生まれて、日本で教員をしていた、なかなか気高い方でした。彼女が私たちの世話をよくしてくれました。なぜなら私たちがあまりにも粗雑で、教育者として放ってはおけないということでした。それで色々、作法を教えてくれました。
私たちには「にゃろめのおばさん」と呼ばれていたのですが、彼女が私の所に来て、いつも、こう言うのです。「順ちゃん、あんたはやがてお父さんの後を継いで牧師になるんだから、よく勉強してくださいね。」
私は小さい頃は「牧師になります」なんて言っていましたけれど、高校くらいになったら、牧師みたいな割に合わない職業にはつきたくないと思い、土木技術者を志しました。それで土木科に入ったのです。
しかし彼女は会う度に、「順ちゃん、あんたは牧師になるんだから、よく勉強してくださいね。」と言いました。これは、私の人生の話として聞いていただきたいのですが、彼女がこう言うのです。
「これからは大学ぐらい出ておかないと、牧師として皆に対応できないから、少なくとも、どこでもいいから、四年制の大学に入って勉強してください。」と言いました。
会うたびにそう言われて、私は進学の気はなかったのですが、ある時、両親の所に行って「原田先生の奥さんが私に四年制の大学に行けって言うんだけど、金出してくれる?」と聞きました。すると父母がこう言うのです。「この状況を見てくれ。うちにお前を大学に入れるような金は一文もない。行きたかったら自分で働いて金を貯めてからいけ。」と言うのです。始めは、むっとしましたが、そりゃそうだなと思いまして、決断しました。「よし、親に頼らないで、自分で働いて大学に行ってやる!」
それで高校を卒業してすぐに就職しました。どこに就職したのかと言いますと、何と私は公務員をしたことがあるのです。豊橋市役所に正規採用されて、公務員をやりました。高校が土木科でしたから、配属先は土木関係の課で、豊橋市は、日本の中でもかなり早くから下水道が整備された都市です。その下水道の工事を誰がやったのかというと、ごく一部ですが、私もそれに関わったのです。
私は下水道建設事務所に配属になったのですが、何もわからないのに、下水道工事の現場監督に任命されました。先輩が「現場を監督して来い」と言うのです。はっきり言って、高校で勉強しただけでは、現場は何も分かりません。「監督さん、これどうするんですか。」と聞かれると、「ちょっと俺、トイレ・・・」とか言って、先輩に聞きに行きました。今ごろ豊橋市の下水が逆流していないか心配です。

でも私には一つの目標がありました。それは一年間働いてお金を貯めて、大学に行くことでした。入学金と一年分の学費を稼いだら、その後は何とかしてやると両親は言いました。それで一生懸命働きました。でも、現実を知ってちょっとショックを受けたことがありました。これは五十年前の話です。高卒の初任給が一万八千円でした。短大卒はお茶汲みばかりしていても、三万円近くもらっていました。そして四年制大学を出た人たちは五万円近くもらっていました。その差を見て、なんという学歴差別だと思いました。しかも、一番大変な仕事は私の所に来るのです。
しかし金を貯めることが目的でしたから、むちゃくちゃけちって貯めました。当時、宿直業務がありました。みんなやりたくなかったのですが、私は自ら「やります!」と申し出ました。特に正月とかにやりますとたいへん単価が良かったですよ。

やがて大学入試の時期が来て、「さぁ大学に行こう」と思った時に、一つの事に気づきました。「大学には入試がある」ということです。私は実業高校でしたから、普通の大学入試の勉強なんかしていませんでした。自分の実力では入試は無理だと気づきました。それで卒業した母校の元担任の所に行って、掛け合いました。当時、推薦入学制度がありまして、なんとか先生に、推薦入学させてくれるように頼みに行きました。そしたら、「おまえ何言ってんだ。この成績じゃ、推薦なんか無理だ。」と言われました。そして「そもそも推薦入学は現役の高校生のものだから、おまえのように卒業したやつは難しい」「頑張って、自分で勉強して入れ。」と言われました。いや〜これは難しいなぁと思いました。
しかししばらくして、先生が「ちょっと待てよ、おまえはもしかしたら推薦できるかもしれない。」と言って推薦書類を作ってくれました。
その結果、私は四年制の土木工学科に入学することができました。すごくラッキーでした。
では、なぜ推薦してもらえたのかと言うと、高校時代に、私は一つの手柄を学校のためにたてたからでした。学校に貢献したのです。それを題材に推薦してくれて、推薦入学が通ったのです。その手柄がどんなものであるのか、皆さん聞きたいですか?

聞きたければ話そうかと思うのですが、まぁ。話すつもりで用意していますけれど。
私は高校時代もあまり勉強ができなくて、あの頃、一クラス五十人近くいたでしょうか。男子校でした。クラスでの順位は、真ん中以下でした。その頃は就職なんか、いくらでもありましたから、高校さえ卒業すれば、誰でも就職できました。
その高校では毎年、ひとつのコンテストがありました。どんなものかと言うと、「実物鑑定競技会」というコンテストでした。五十問が出題されるテストです。しかも、一問につき与えられる時間は二十秒です。二十秒間、技術的な公式とか、計算とか、実験器具とか、様々な土木関係の問題が出題されるのです。二十秒の間に答えを書くのです。このテストで全校で三位以内に入ると、県大会に出場できるのです。県大会には愛知県下の実業高校から優秀な人たちが集まって競います。そこで同じような試験があって、一位になると、ただ一人、「全国大会」に出場できるのです。
無論、私なんか、そんなものにはまったく興味はありませんでした。三位までに入る可能性は全くなし。ただ、面倒くさいコンテストだと思っていました。
高校三年生の出来事だったのですが、そのコンテストがあって、私はまったく勉強もせずに、当日学校に行きました。すると、その日に限って、私の隣に私よりも先に問題を解く(一問二十秒で回答し、次のセクションにずれていくのですが)クラスで一番優秀な男がいました。それで私は何をしたのかというと、冗談半分に、わからない問題は、彼の答案を写しました。彼も私に協力してくれたものだから、彼の答案をカンニングして提出しました。それでも、三位なんかに入るはずはないと信じていました。全く冗談半分で行ったことでした。
コンテストが終わり、やがて結果が発表されたのです。なんと私は、校内選考で第三位に入ってしまったのです。それで、「県大会に行け」と言われました。私は全く実力はないのに、三位になって、県大会に行く羽目になったのです。
当時、私はすでにクリスチャンでしたから、ちょっと心が責められました。なぜならば、カンニングで三位になったからです。これはまずいな・・と思いました。先ほどのドラマの中で父が「あなたは泥棒だ」という、神の声を聞いたとありましたが、なぜなら、彼は農場のトマトを盗んだり、きゅうりを盗んだり・・・、その中にカンニングも入っていました。父はそれをよく話していました。私は「カンニングは泥棒の罪だ!」といつも父から聞いていました。やっぱ、俺、泥棒しちゃったんだと思いました。こういう時にはちゃんと悔い改めなければいけないと思って、先生の所に行くことに決めました。
でも当時の学校の先生たちって、戦争で生き残ったような兵隊上がりが多く、土木科なんて、そういう人たちばかりでした。すぐに平手打ちみたいな感じでした。また悪いことにコンテストを担当していたのが、一番怖い先生でした。しかし私は決意して、まずは神さまに、「カンニングしました。赦してください。先生の所に行きます、助けてください。」と祈って出かけました。
「先生、ちょっと話があるんですけれど・・・。」『なんだ?』「僕は罪を犯しました。」と言ったら、『何をやったんだおまえは?』と言いました。「実は、実物鑑定競技会でカンニングをして、私は三位になりました。だから私には県大会に行く資格はありません。私を落として、四位の人を繰り上げ当選させて、県大会に行かせてください。」と頼みました。
しかしその先生、何と私に言ったと思いますか?『うるせぇ!おまえ、男だろ。自分の行動に責任を持て!県大会に行って来い!』と言いました。いや〜、カンニングなどやらなければ良かったなぁと思いました。それでついに、県大会に行くはめとなりました。
県大会までに、二ヶ月くらいあったので、私はその間、初めて真剣に勉強しました。なぜしたのかと言ったら、一位、二位の人たちの成績と、私の成績が県大会で乖離していたら、やはり恥になりますから、少なくとも彼らと同レベルくらいの成績になりたいと思ったからです。
県大会当日、愛知県中から一位から三位までの人たちが集まって競いました。当然私なんか、無理に決まっています。
さて皆さん、そのコンテストで、私は何位になったのでしょうか。なんと、県大会で私は優勝しちゃったのです!愛知県で一位になりました。
「滝元君!あなたは愛知県代表として、全国大会に出場してください。」ということになったのです。いや〜、意外でした。私がカンニングさせてもらった男は県大会で二位でした。彼が大変悔しがりまして、「俺はお前に答えを見せてやったから、ここに来られた。しかしお前が一位になって全国大会に行くのかよ!本当に悔しい。」と嘆いていました。
人生って不思議なものですよね。しかし私はあまり、ピンと来ませんでした。なぜなら、偶然が偶然を呼んだみたいな、カンニングから始まった事であったからです。
今でも覚えていますが。全国大会はその年、四国の松山でありました。当時、四国まで旅行するのは、海外旅行のような時代でした。今から五十年以上前の話ですから。私は先生を二人引き連れて、全国大会に出向いたのです。二人の先生がたいへん興奮して喜んでくれました。「滝元君、ありがとう!君のおかげでこんな旅行ができるなんて、光栄だ。」とか言って、喜んでいました。大会に行く前には、激励会がありまして、千人以上の生徒たちの前で、朝礼台に立たされて、「頑張って行って参ります!」みたいな、出征兵士のようでした。応援団が出て「ふれ-ふれ-!滝元!ふれ・ふれ!ちゃちゃちゃっ!」なんてやられて、送り出されました。冗談から始まったのが、こんなことになってしまいました。少しは、罪を悔い改めたことによって祝福を受けたのかな?と思ったけれど、それが将来、人生を変えるきっかけになるなんて、少しも思いもしませんでした。私は人前に出るのがあまり好きではなくて、プレッシャーでした。
しかし全国大会に向けて、真剣に祈り、一生懸命勉強しました。全国大会にはいろいろな種目があって、一週間に及びました。しかし私の出番なんか、一問二十秒で五十問ですから、二十分弱で終わりました。結果発表は最終日で、あとはぶらぶらしていました。やることなくて、金もないから、街をただ歩く悲しい旅だったのですが、でも、楽しかったです。そして最終日、待望の結果発表がありました。私は一位ではなかったけれど、全国二位でした。最優秀じゃなくて、優秀賞を受賞しました。私は全国二位という賞状と、トロフィーかなにかをもらって、錦を飾ってというか、新城高校に戻ったわけです。戻ったら、今度はまた歓迎会です。またもや朝礼台の上に立たされて、盛大な拍手をされて、「よく頑張った!」と全校生が喜んでくれました。校長先生が「滝元君、これが本校にとって、どのくらい名誉であるか、君には分からないだろう。」と言いました。私は「分かりません」と答えました。かなり名誉だったらしいのです。長らく、私のとった賞状が職員室かどこかに飾ってあったそうです。それが高校時代の手柄でした。