「70年が満ちた2021 回復と再建の年!  〜苦しみからの解放〜」

では人とは、どのような立場にあるのでしょうか。クシュナーはそのように結論づけてはいませんが、ヨブ記を読んでいくと、まさしく「人」がどのような立場にあるのかがわかります。それは、「人は被造物の管理人」であるということです。神は、混沌とした世界を修復する働きを、「主を信じる者たち」に託されたのです。

ヨブ記三十七章まで、神さまはヨブの問いには答えず、だんまり戦術でした。そこまではヨブと友人たちの討論が続くのですが、三十八章から、突然、神が口を開かれます。三十八章一節から三十八節までで、神は何を語っておられるのでしょうか。
「ヨブよ。試練の原因は、おまえがこのような罪を犯した為だ。」というような、単純な答えではありませんでした。
神が創造された宇宙と被造世界の偉大さについて語られたのです。ヨブは神が、自分の正しさを証明してくれると期待していたはずです。しかし神の答えは、ご自分が創造された宇宙、この地球、被造物世界について語られて、「ヨブよ、おまえはこのような事柄に関して、考えたことがあるのか?それらに気を遣ったことがあるのか?」と問いかけられたのです。
ヨブは神の言葉を聞いて、めんくらうわけです。「そんなこと考えてもみなかった・・・。」と。そして、自然界の法則も、神の被造物の一つであることを知らされたのです。
ヨブが受けた苦難は、シェバ人やカルデヤ人に襲われた事と、神の火が下った、すなわち雷に打たれた事、また、大風が吹いて家が倒れて、子どもたちが犠牲になった事、そして、病気です。それらは、現在、私たちが日々、社会で体験している事柄と全く同じです。「犯罪、自然災害、そして、病」。

先週も大きな地震が東北でありました。今後、東南海地震が起きたら、三十万人近くが犠牲になると言う予測がなされています。信じられない自然災害が、日本を襲うかもしれないのです。
それはどうしてかということです。日本に対する神の裁きでしょうか。そのような側面も否定はできませんが、基本的には、「被造物世界の法則に属する事柄」なのです。地震は、地球の安定のために、地球のストレスを解除する、神の定められた法則の一つなのです。
ヨブ記に、こんなことばがあります。ヨブ記三十八章十〜十一節、

『わたしは、これをくぎって境を定め、かんぬきと戸を設けて、言った。「ここまでは来てもよい。しかし、これ以上はいけない。あなたの高ぶる波はここでとどまれ」と。』

以前にも紹介したのですが、東北の大地震の際、岩手県のある地域で、助かった集落と、滅びてしまった集落があったと言うのです。それが新聞に掲載されました。タイトルは「先人の石碑集落を救う」でした。 かつて、この地域に大津波が来て、集落が全滅した歴史があったのです。それで先人たちが、「これより下に家を建てるな。」という石碑を立てたのです。姉吉地区の人たちは先人たちのアドバイスを受け入れ、忠実に、石碑よりも上に集落を形成しました。
 しかし石碑がありながら、港付近に集落を作った人たちもいました。経済的な理由や、環境的な理由等、やむを得ない理由もあったことでしょう。しかしその集落は、津波によって流されてしまいました。
これは自然界の法則に従うか、従わないかに関わる事柄です。先人たちが残してくれた記録を重く受け止めた人たちは助かったのです。神は津波に対して、「ここまでは来ても良い。しかし、これ以上はいけない。」という限界線を、地球を創造された時点で設定されたのです。
それは個人的に正しいとか、正しくないとかではなく、歴史的、地域的な、共同体の問題です。ゆえに現在、様々な災害予測がなされていますが、心にとめる必要があります。

また病という事柄に関しても、同様です。病になると、「何か罪があったのだろうか・・・、神の前にどこが悪かったのだろう・・」と、いろいろ考え、反省します。
「あの人が病気になったんだって。何か、やっちゃいけないことしたのかな?」みたいな、ヨブの三人の友人のように決めつけることもあります。しかし、そのように単純化してはいけないことを、ヨブ記は告げています。
病の背景に、複雑なメカニズムが関わっていることを、近代の科学は明らかにしています。

以前にもお話ししたのですが、なにげなく食べる食材も注意しないと、遺伝子に悪影響を与えたり、健康に被害を及ぼす事が多くあります。
 このおにぎり美味しそうでしょう。これは私が近くのコンビニで買って、暑い季節に一ヶ月間保存した後のおにぎりです。一ヶ月、車のダッシュボードに入れておいたのですが、全く変化がありませんでした。硬くはなっていましたけれど、お湯で戻せば食べられそうでした。どうしてでしょうか。理由は、たっぷりと防腐剤が入っているからです。

 これも紹介したのですが、左の方は枯れないで。右の方は枯れています。どうして枯れたのか。それは除草剤がかけられたからです。実は左側にも同じ除草剤が散布されたのですが、枯れなかったのです。なぜでしょうか。左の大豆の種には、遺伝子操作が行われていて、除草剤に対する耐性が組み込まれていたからです。
「種も仕掛けもありません。」とか言いますけれど、この頃の種は仕掛けだらけです。神さまの創造したオリジナルの種とは、全く違っています。聖書はそもそも、「種を交配するな」と禁じています。
本来人類は、神が創られた被造物の管理人として、正しく管理しなければいけないのが、管理を怠るどころか逆に破壊しています。ゆえに、様々な不具合が複雑に絡み合い、病が現代社会を覆っているのです。そんな中で暮らす私たちには、個人的な行動を超えて、単純化できない、多くの要素があるわけです。そのような地球規模、人類全体の問題があるのです。
主を信じる者たちが、不条理な世界の背後にある悪魔の策略を見抜く作業をしない限り、やがて人類は滅ぼされてしまいます。

ヨブは毎日、何を懸命に祈っていたのかと言うと、ただ家族の守りと幸せが中心でした。宴会の後「もしかしたら息子や娘たちが神に対して、心の中で罪を犯したのかもしれない・・」と言って、生贄をささげていました。家族の幸せのためには、彼は全力を尽くし、神の前に正しく歩んでいたのです。彼の聖さは、個人と家族を守るためでした。
彼はなぜ、サタンに訴えられたのでしょうか。人とは、家族の幸せのための存在ではなく、被造物全体に気を配り、管理する役割だからです。ヨブはそのことに全く気付いていなかったが為に、サタンに訴えられました。しかしヨブはその点を神から指摘され、悔い改めたのです。
彼は苦難を通して、家族だけという枠組みが取り払われたのです。「人は被造物の管理人なのか!」このことを知り、理解した時、苦難は回復に向かって動き始めたのです。

聖書において二人の人物が、「人とは何者なのでしょう」と問いかけています。それがダビデとヨブです。また、ダビデとヨブの違いは何でしょうか。両者の問いかけは同じでも、結論が違いました。ダビデは大きな罪も犯しましたし、多くの血を流しました。もちろん彼の人生には、多くの苦しみもありましたが、祝福されました。
その理由の一つが、「人とは何者なのか。」の理解でした。彼は、「あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。」と語りました。

ヨブも「人とは何者なのでしょう」という発言をしています。そして彼の結論が、ヨブ記七章十六節にあります。

『私はいのちをいといます。私はいつまでも生きたくありません。私にかまわないでください。私の日々はむなしいものです。』

ここで彼は人生の目的を放棄しています。これが大きな訴えのポイントであったと思われます。ヨブの欠点は、人とは何者かについての理解でした。
続く四十一章において、神は、ヨブに苦難の真犯人について告げています。それに先立ち、神はヨブに次のように語りました。
ヨブ記三十八章三節、

『さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。』

そしてカバとかレビヤタンという、人の手に負えない生物を例に挙げて語られました。特に、レビヤタンという生物について教えました。それは聖書においてはサタンの象徴です。『あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。』、悪魔に立ち向かえ、と告げられたのです。
この思想は新約聖書にも受け継がれています。ルカの福音書十二章三十五節には、

『腰に帯を締め、あかりをともしていなさい。』

とイエスさまは語られました。終末の時代、私たちは賢い娘として、油を絶やすことなく、腰に帯を締め、明かりを灯した霊的戦いの勇士であるべきです。
第一ペテロ五章八節、

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。』

「敵」とは、「アンチデコス」、「訴訟を起こす者」という意味があると以前語らせていただきました。私たちは霊的世界の現実を知って、腰に帯を締めて、敵に立ち向かうのです。
私も苦難に会って、毎日、真剣に神の前に出て祈るようになりました。そこで与えられたみことばは、ペテロの手紙第一、五章八節から十一節でした。

『身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人々は同じ苦しみを通って来たのです。』

『あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその永遠の栄光の中に招き入れてくださった神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。』

と結んでいます。腰に帯を締めて敵に立ち向かい、被造物の管理人であることを理解する時、長く続く苦しみから解放され、回復が始まると信じます。主は私たちを堅く立たせ、不動の者としてくださるというのが約束です。

全体をまとめると、ヨブがサタンに訴えられた理由と回復の条件は、
1.ヨブは人とは何者なのかについて理解がなかった。
2.サタンが天の法廷に訴えるということに気が付かなかった。
3.彼が三人の友との和解と祝福を祈った時に、回復が訪れた。

人間関係の中で様々なもつれがあったりしますが、それが訴えとなることを現しています。
前回、ルツ記を学びましたが、ルツ記の中に出てくるボアズと使用人たちが交わした挨拶って素晴らしいです。
『主があなたがたと共におられますように。』とボアズが挨拶し、使用人たちが、『主があなたを祝福されますように。』と答えました。

ヨブと三人の友人たちがお互いを祝福しあった時、ヨブは二倍の回復を受けたのです。
様々な苦しみは何のためか。テサロニケ人への手紙第二を見ますと、『あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。』とあります。

新しい天と新しい地の実現のために、神の国の実現のために、私たちは時として、苦しまなければなりません。しかし苦難の原則を知る時に、「必ず勝利できます!」という、神からの強いメッセージが、ヨブ記の中に込められていると信じます。