「70年が満ちた2021 回復と再建の年!  〜苦しみからの解放〜」

2021年5月2日(日)新城教会主任牧師 瀧元順

ヨブ記42章16〜17節

『この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。こうしてヨブは老年を迎え、長寿を全うして死んだ。』

おはようございます!ハレルヤ!ゴールデンウィークのただ中にありますが、全世界は苦しみのただ中にあります。今日は「苦しみからの解放」というテーマでお話をさせていただきたいと思っています。
私は苦しみというテーマで語るのを、あまり好んでいませんでした。このテーマを扱うと、なんだか苦しみを呼び込むような気がして、変な恐れが私の内にありました。しかし今は変わりました。聖書の中に苦しみからの解放の鍵があるのですから、大胆に語らせていただきたいと願っています。

今年、この教会は「回復と再建の年」と銘打っています。見えるところにおきましては、一年間、廃墟のようになっていた元プレイズの社屋がリフォームされつつあります。二階は牧師たちとスタッフたちの部屋になります。まだ工事の途中ですが、こんな形になりました。

結構いいでしょう。私は主任牧師として最期の工事として祈り、プラン立てさせていただきました。イエスさまは場所を備えるために天に帰られましたが、私は、場所を備えてからやがて天に帰るみたいな感じかもしれません。
一階は集会室とともに、北側は将来、ヘブンズ・カフェ&コーヒーを移転しようと考えています。現在、その為の前準備をしています。

信弘先生の友達のシルバー大工さんが来て、コツコツと作ってくれています。そのおじいちゃん、少し体に障害があるのですが、頑張ってくれています。もしかすると夏ぐらいには、移転が完了するかもしれません。結構いいお店になると思います。ぜひ、楽しみにして下さい。

内外に様々な変化があるのですが、家内のためにも祈っていただき、心から感謝いたします。現在、入院中ですけれど、二回ほど抗がん剤が投与されました。見えるところでは、大きな副作用もなく元気にしています。今週、水曜日には退院できる見込みです(退院しました)。本当に皆さんのお祈りに支えられていますことを、心から感謝します。

人生には、様々な苦しみが起こります。しかし苦しみは人生の中で、結構、重要な要素であると思うのです。お母さんも苦しみを体験しなければ命を生み出せません。産みの苦しみがあってこそ、新しい命が誕生するわけです。
現在、世界が新型コロナウイルスという、共通の敵と戦い、苦しみを体験しています。しかしこれは、決して無駄にはならないと私は信じています。背後に神のみ手があって、苦しみと悲しみの中から、人類が真の神に頼る、新しい季節がやって来ると信じます。そのことを期待し、進んでいきたいと願っています。

今、リバイバルミッションにおきましては、ゴールデンウィーク期間中、配信プログラムがあります。今晩は、特別な番組が放映されますから、是非ともご覧になっていただきたいと思います。それは私の父、滝元明の半生を描いたドラマが放映されます。彼らも苦しみの中から、この教会を産み出していきました。またリバイバルの働きも、苦しみが伴う気がします。ダイジェストで一分ぐらい、その内容をお見せします。実際は一時間ぐらいの大作です。皆さんがよく知っている俳優さんたちが演じてくださっています。では「我土方なれど」ご覧ください。

自主制作ドラマ「われ土方なれど」小さき者を用いて下さる主 滝元明物語 献身篇 本編を見る

はい、俳優さんたち、よく知ってますよね。売り物になるぐらい良い作品に仕上がっています。私は既にすべて見ました。

人生には苦しみもありますが、ただ、苦しみだけで終わらないのです。主は、必ず、祝福で着地させてくだいます。
聖書の中で最も苦しみを体験した人物は誰かと言ったら、やはりイエスさまです。しかし生身の人間としては「ヨブ」だと思われます。
先ほど読んでいただきましたのは、ヨブ記の最後の部分です。ヨブは信じられない苦しみを体験したのですが、最後は素晴らしいです。どのように結ばれているのかというと、新改訳2017の訳ですが、ヨブ記四十二章十六〜十七節、

『この後ヨブは百四十年生き、自分の子と、その子の子たちを四代目まで見た。こうしてヨブは死んだ。年老いて満ち足りた生涯であった。』

彼が試練を受けたのは、五十代か六十代かもしれません。しかしその後、百四十年生きたのです。二百歳ぐらいまで生きたのではないでしょうか。そして彼の人生最後の記録として、『年老いて満ち足りた生涯であった。』と結ばれています。私たちの人生もこのようでありたいですね。時には様々、あるかもしれませんが、主は、満ち足りた人生を与えてくださるのです。

神は、私たちが苦しみから解放されることを望んでおられます。この事実は、新約聖書にも受け継がれています。私が大変期待しているみことばは、「マルコの福音書五章三十四節」です。

『イエスは彼女に言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。苦しむことなく、すこやかでいなさい。」』

これは十二年、長血を患っていた女性に、イエスさまが語られた言葉です。今日、ここにおられるお一人一人にも、同じく、イエスさまは語ってくださると信じます。私の家内にも、語ってくださっているはずだと、堅く信じています。

ヨブ記は知恵文学に属する書物で、お読みになって分かるように、なかなか解釈が難しいです。ヨブ記の解説書も、結論は様々で、混乱するかもしれません。それは神の深い知恵を含んでいる為だと思われます。しかしそこには、苦しみから解放される鍵が隠されているはずです。それを引き出したいと願います。私も様々な戦いの中で、「苦しみから解放される鍵があるはずだ」と信じて、日夜、祈り、みことばを学んでいます。

先日ルツ記の「Bible Project」を見て、全体像を学びました。今日もヨブ記をBible Projectから、学んでみたいと思います。しかしこの解釈はBible Projectの理解ですので、これがすべてではない事も覚えながらご覧下さい。また神は苦しみから解放してくださるお方であることを念頭において、ご覧になっていただきたいと思います。

BIBLE PROJECT <ヨブ記> を見る

ありがとうございました。Bible Projectでは「神はヨブの問いに答えていない」という結論でした。
しかしながら、ヨブ記を別の視点で学ぶと、神はヨブの問いかけに、しっかりと答えている事が分かります。今日はそちらの視点で学んでみましょう。
はっきり言って、神はヨブ記の最初の時点で、読者に答えを与えています。ヨブにこのような苦難が降りかかった理由はただ一つです。それは、「サタンが天でヨブを訴えた」からです。サタンの訴えがなかったら、ヨブは何一つ苦難にあわなかったはずです。サタンが天でヨブを訴えたことによって、地上に様々な問題が起こったという事実です。
同時にヨブは、その事実を知らなかったということです。感謝な事に、私たちヨブ記の読者は、その事実を知る事が出来ます。そもそも悪魔、サタンとは、「訴える者、告発者、検察官」と言う意味です。私たちの非を神に訴える存在です。ヨブの試練の原因は、「サタンそのもの」です。
ゆえに、知らなければならないのは、「なぜ訴えられたのか」という理由です。その理由を、ヨブ記から抽出しなければいけないのです。

以前、一度お話しさせていただいたのですが、「現代のヨブ記」として有名になった一冊の本があります。それは「なぜ私だけが苦しむのか」というタイトルの本です。著者はユダヤ教のラビですが、息子が大病にかかったことから始まります。それは子どもでありながら、どんどん老いが進むプロゲリアという病でした。家族も本人も先がない!絶体絶命の危機に陥ったわけです。
しかし著者のクシュナーは、その試練や苦しみから逃げるのではなく、苦しみを扱う世界最大の書物は何かを求めたのです。そしてそれがヨブ記であることに気づいたのです。

“正しい人がなぜ不幸に見舞われるのかという主題が書かれた書物の中で、ヨブ記はおそらく最も偉大で完璧で深遠な書物だとし、著者はヨブ記を通してこの課題に取り組んだ。”

苦しみを扱っている最大の書物はヨブ記です。ただ読めば、神さまはヨブの疑問に答えていないのかのように、読み終えてしまうのですが、深く掘り下げるならば、人類の最も大きな疑問である「正しい人がなぜ不幸に見舞われるのか」という命題に答えているのです。
クシュナーは次のように語っています。

“ヨブに何も問題が起こっていない時には、次の三つの条件が連立する。「神は正しい、神は全能である、そして、ヨブは正しい。」”

この原則を私たちに適用するならば、私たちもイエス・キリストによって罪赦され、正しい者とされていますから、「神は正しい。神は全能である。そして、私もヨブのように正しい。」と言うことができます。

しかしながら、何か問題が起きると、三つの条件の中から、一つを取り下げなければならなくなると言うのです。
つまり神が正しくて全能ならば、「ヨブは悪人」で、罰を受けていることになります、また神が全能で、ヨブが正しければ、「神は悪」ということになります。
そして神が正しくて、ヨブが正しいならば、「神は全能ではない」ということになると記しています。
一回の説明ではちょっと分かりづらいかもしれませんが、家に帰ったら、深く考えてみてください。そもそもヨブ記の前提は、「ヨブは正しい」ですから、もしもヨブが正しくなければ、ヨブ記の前提が崩れてしまいます。そうなると、この書は成立しなくなります。ゆえに、三つの連立方程式を連立させる、なんらかの解があるはずです。
そこでクシュナーが到達した結論は、
“苦しみは不完全な世の中にあっては避けられないものであると理解すれば、問いが変わる。”でした。
彼の結論は、「不完全な世の中にあって、苦難は避けられないもの」だと言うのです。
続けてこう記しています。

“聖書が述べている神の創造とは、混沌に秩序を与えることであり、今なおその作業は継続中で、世界に混沌が未だにある以上、混沌の部分の中にある不条理な苦しみが理由もなく今も存在しているのだ。”
今、私たちは、不条理な苦しみが満ちた世に住んでいますが、神の創造の働きは、混沌の中に秩序を与える働きであり、その働きは、「未だに継続中」だと言うのです。
初めに神が天と地を創造した時、混沌とした地に光が射し込み創造の業が始まりました。一度は創造が完成し、良いものとして神は宣言されたのですが、その後、サタンがアダムとエバを誘惑して、またもや、地は混沌な状態に戻ってしまったのです。
しかしそれを解決する為に、救い主イエスさまが来てくださったのです。聖書は「天地創造から、新天新地の創造に向かう物語」あると言われます。現在、私たちは、どのような世界に生きているのか。それは、混沌とした世界を回復する働きの只中に身を置いているのです。ゆえに、混沌の中にある不条理な苦しみが、理由もなく、正しい人にも、罪ある者にも、同様に降りかかるというわけです。
ある意味、新型コロナの問題もその通りです。地球上に住む、全員に災いが降りかかっています。七十数億の人間、正しい人にも悪い人にも、同じように恐怖と危険が振りかかっているからです。