「70年が満ちた2021 回復と再建の年!あなたは主の勇士です! パート2 〜この時のために生きる〜」

2021年2月21日(日)新城教会主任牧師 滝元順

ルカの福音書10章18節〜19節

『イエスは言われた。「わたしが見ていると、サタンが、いなずまのように天から落ちました。確かに、わたしは、あなたがたに、蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けたのです。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つありません。』

エステル記4章14節

『もし、あなたがこのような時に沈黙を守るなら、別の所から、助けと救いがユダヤ人のために起ころう。しかしあなたも、あなたの父の家も滅びよう。あなたがこの王国に来たのは、もしかすると、この時のためであるかもしれない。」』

ハレルヤ!おはようございます。素晴らしい賛美を聴かせていただきました。人は被造物の管理人であることを歌っていました。現在、様々なことが世界で起こっていますが、この時の為に私たちは生かされていると信じています。今日はそんなテーマでお話しをさせていただきたいと思います。

今日のみことばは、まずはルカの福音書です。そこから前回語らせていただきましたが、「あなたがたに害を加えるものは何一つありません!」とイエスさまは、私たちに励ましを与えてくださっています。そのみことばをベースにして、エステル記から学びます。聖書の中には多くの勇士たちが出てきますが、エステルもその一人です。
エステル記には、神さまの名前が一度も出て来ません。神は一体、どこにおられるのか?というような書です。しかし、そんな中にも、主はおられ、素晴らしいタイミングで主に信頼する者たちに関わって下さる姿を見ることができます。
ユダの民は七十年間、バビロンで過ごしたのですが、七十年が満ちた後、エルサレムに帰還しました。けれども、バビロンから帰還した人たちは一部でした。七十年も同じ街で生活していれば、定着した人たちも多かったと思われます。
世界はバビロニア帝国の支配から、メド・ペルシャ帝国の支配へと移り、その勢力範囲は広大なもので、東はインダス川まで及び、西はアフリカ大陸にまで及んでいました。
ユダヤ人たちは、「ディアスポラ」と呼ばれ、様々な地域・領域に散らされてコミュニティを作っていました。
しかしエステルの時代、ユダヤ民族のすべてを撲滅してしまえ!という「ユダヤ人撲滅計画」が発布されたのです。それは、地上からユダヤ民族を消し去ってしまえ!という命令でした。もしもこれが実行されていたならば、世界の歴史は全く変わったと思われます。
聖書のすごいところは、神話ではなく、人の歴史のただ中に、神が関わられたところです。アハシュエロスという王様、別名はクセルクセスです。今から二千五百年ぐらい前の出来事ですが、すでに世界の文明はかなり進んでいました。当時、日本はどんな状態であったのかと言うと石器時代です。世界史と比べると、ちょっと悲しい現実があったわけです。
救い主がユダヤ民族の中から生まれることは、すでに約束されていましたから、サタンも真剣にそれを阻止しようとしていたのです。
ユダヤ人たちがバビロンからエルサレムに帰還してハッピーエンドではなく、戦いは継続していたのです。
これを私たちにも適用するなら、クリスチャン生活は、霊的戦いそのものであるということです。

私と家内のために祈っていただいて、心から感謝しています。昨年は、本当に素晴らしい奇跡を見せていただきました。しかしここに至って、また戦いが起こっていますので、是非とも祈っていただきたいです。マーカーの値が続けて上がっていて、あまり良い状況ではないと言われています。三月になって精密検査をして、方向性を考えます。追い込まれているところがあって、本当に祈りを必要としています。この戦いは、個人というよりも教会全体の戦いであると思っています。是非とも、この件に関して続けて祈っていただきたいと思います。

しかしそんな戦いのただ中においても、確信していることは、神は時を支配しておられると言うことです。時の流れの中で、主は働かれ、クリスチャンを用いられるという原則です。今日はそのような視点で、お話しさせていただきたいと願っています。

まずはエステル記全体のストーリーを捉えておくと、今からの話もよく分かると思います。最近、ネットで大変優れた素材も流れています。エステル記全体を七分間ぐらいにまとめた動画があります。リバイバル聖書神学校にも来て、教えてくださった高見澤先生がレポートしている「バイブル・コア」という動画です。
聖書の中で、女性がタイトルになっている書が、エステル記とルツ記です。それではエステル記をよろしくお願いします。

ここをクリックして「BibleCore エステル記」を再生

ありがとうございました。これを見たらエステル記の全体像を把握できます。全体のテーマは「タイミング」だと語られていました。神の時があるという事です。同時に、神のタイミングの為に用いられる人々がいたということです。エステル記はまさにそのテーマです。その結果、ユダヤ民族は歴史に生き残ることができ、イエスさまの誕生につながったのです。

加えて神がご自身の時を表す法則が、「暦」であると言うことです。最近私は、暦について語っています。神の働きに暦が関わっている事実を、エステル記全体から見ることができます。
聖書の暦は、私たちがふだん使っている太陽暦ではありません。聖書の暦の基本は「太陰暦」です。それに基づくユダヤ暦があるわけですが、「ユダヤ暦と神の時」を心にとめ、エステル記を読むと、主の働きが見えてきます。

エステルが王妃に召された時と、モルデカイによって王の暗殺計画が阻止された時が「テベット月」だと記録されています。太陽暦に直すならば、十二月から一月になります。
もしもエステルがこの時期に王妃として召されなければ、同時にモルデカイを通して王の暗殺計画が見破られなければ、神の計画は成立しませんでした。そこには様々な条件があったと思われますが、エステルもモルデカイも、神の時を捕まえたのです。その結果として世界の歴史が変わったのです。
次にユダヤ歴が関わっているのが、「ニサンの月」です。それはハマンによるユダヤ人撲滅日を決めるくじが引かれた月でした。

モルデカイはハマンに挨拶をしませんでした。ハマンは、「アガグ人ハマン」と呼ばれています。この人物はペルシアの国のトップでした。王の次に位を置く人物でした。日本ならば、総理大臣のような存在です。
当時、宮廷の門番をしていたのがモルデカイでした。彼はハマンを無視し、全く挨拶をしなかったのです。ハマンは毎日のようにモルデガイの態度を見て、腹を立てて、彼を殺そうとしたばかりか、ペルシア帝国のユダヤ人全体を撲滅する計画を立てたのです。
なぜこうなったのか?ということです。モルデカイがハマンの前にひれ伏さなかったのはどうしてでしょう。彼はユダヤ人でしたから、ひれ伏す行為が礼拝に当たり、「人を礼拝するようなことはしなかった」という理由であったのかもしれません。そのように時々、説明されるのですが、そこには矛盾が生じます。
なぜなら、その門は王も出入りしていたはずですから、王の時は、モルデカイはひれ伏していたはずです。しかしハマンの時だけ、挨拶しなかったということで、ハマンは腹を立てたのです。モルデガイは、ハマンが好きじゃなかったのでしょう。「こいつには挨拶なんかしたくない!」という個人的な理由があったのかもしれません。しかしその理由を探るためには、「聖書は聖書によってその理由を探る」という原則に従えば、一つの理由が浮かび上がってきます。それは背景に民族的対立の歴史が関わっていたことです。ハマンがキシュの子サウルの敵であった、アマレク人の王アガクの子孫であったことが考えられるのです。
エステルの時代から遡ること五百年前に、ユダヤ人の敵アマレク人の王アガクという人物がいたのですが、その子孫がハマンだったのです。だから、両者に民族的対立があったということです。それは五百年も前の話です。五百年も経ったのだから、そんな気持ちは捨てた方がいいと思うのですが、世界で民族紛争が多く起こっていますけれど、民族の対立には、根深いものがあります。本当に恐ろしいです。一人の行動が、民族全体に危害を及ぼしてしまう危険性があるからです。私たちも、他民族に対する偏見を捨て去らなければいけないことを、ここからも教えられます。日本の周りにおられる他民族と言うか、実はルーツは同じですが、諸民族の方々に対して、悪い思いを持ったり、差別的な思いは、五百年後にも影響をもたらします。モルデカイの態度ひとつが、ユダヤ民族全体に危害が及ぶ火種となりました。モルデカイにも問題があったと言えるわけです。

しかし神は、そんな危険のただ中にあっても、無言で働かれたのです。ハマンによってユダヤ人撲滅の日程を決めるくじが引かれました。当時は事を決めるのに、くじで決めていたようです。
プルというくじを投げたのが、ユダヤ暦「ニサンの月十三日」でした。その結果、「アダルの月の十三日」に決まったのです。それで約一年後にユダヤ人撲滅計画が実行されることになりました。
先ほどのビデオにもありましたが、次の週だとか、次の月だったら、ユダヤ人たちは対応できなかったはずです。サイコロが振られたのかどうか分かりませんが、一つの物体の回転にも神の支配があったのです。くじが投げられたのが「第一の月」すなわち「ニサンの月」の十三日で、結果は「アダルの月」の十三日に決まりました。約一年後に実行される事が決まったのです。
決定から実行までの期間にも、神の支配とタイミングがあったわけです。その中で主の勇士たちが、神の支配を受けて動いたのです。

4番目のユダヤ暦と神の時は、「王がある夜、眠れなくなり、モルデカイの手柄に気づいた」事です。それがいつであったのかと言うと、「シワンの月」でした。テベット月に王の暗殺計画が阻止されたのですが、王はどうも、その事を深く受け取っていなかったようです。
しかし王がその夜、眠れなくなった事により気づかされたのです。エステル記六章一節、

『その夜、王は眠れなかったので、記録の書、年代記を持って来るように命じ、王の前でそれを読ませた。』

この中にも主の絶妙なタイミングが関わっています。ユダヤ人撲滅計画の法令は、すでに発布済みでしたから、ユダヤ人たちは当時、パニックを起こしていたと思われます。しかしエステルは自分の出自を隠して王宮に入っていたのです。それでモルデガイは、王妃エステルにこの計画を阻止させようとしたわけです。
その時、モルデガイがエステルに語った言葉が、「あなたがこの王宮に来たのは、まさにこの時のためだ!」と語りました。エステルは「三日間飲まず食わずの断食をして下さい」と頼みました。断食とは祈りを表しています。しかしエステル記の中には「祈り」という言葉は使われていませんが、ユダヤ人たちは全州において真剣に神に祈ったはずです。
その時に、神はエステルにアイデアを与えました。それは王のために二日間の宴会を催すアイデアでした。そこにハマンも一緒に招き、王と飲み食いをさせたのです。王はエステルに「何か欲しいのか。欲しいものがあったら言え。」と尋ねるのですが、初日にエステルは何も王に告げていません。
しかしその晩、王は眠れずに年代記を読んだのです。時々私たちも「よく眠れないなぁ・・。」みたいな夜があります。それらも、もしかしたら、神の時と関わっているのかもしれません。今晩眠れなかったら、「今晩が神の時ならば語ってください。」と祈って下さい。
王は眠れずに、年代記を侍中に読ませたわけです。そうしたら数ヶ月か前に、モルデカイが王の暗殺計画を察知し、暗殺計画が阻止されたという記録を発見したのです。
それで「ところでモルデカイに何か褒美をやったか?」ということになったわけです。すると何も褒美をやっていないことがわかりました。それで王はハマンに「どんな褒美をあげたらいいか」と相談し、その結果、ハマンには屈辱的な事が起きたわけです。

エステルは二日目の宴会を催しました。モルデガイの一件があったことによって、王の心は整えられていたのです。
二日目、エステルは自分の出自を王に告白し、民族を絶滅させる計画があると告げました。そしてその計画を立てている人物が、王の目の前にいるハマンである、とすっぱ抜き、計画を廃棄するように王に訴えるわけです。王はハマンの悪巧みを知って大変怒り、外に出て行ってしまいました。
しばらくして王が戻ってきた時、ハマンはエステルに命乞いをして、王妃の長椅子にしがみついていたのです。それを見た王は、さらに怒りを増し、ハマンは処刑されたのです。ハマンのユダヤ人撲滅計画も全て破棄され、ハマンだけでなく、一族も一掃されたのです。

アダルの月は、太陽暦に対応させると、この二月です。不思議な神さまのタイミングが、エステル記には散りばめられています。
ハマンが処刑されて、ユダヤ人撲滅計画中止の文書が発行されたのが、「シワンの月」でした。太陽暦では五月から六月にあたります。取り消し決定は「シワンの月の二十三日」に調印されたのです。ユダヤ人撲滅実行日の、「アダルの月の十三日」までには、数ヶ月の余裕がありました。
もしも取り消し決定がもう少し遅れたらどうでしょうか。ペルシアは百二十七州もあり、当時は電話もFAXもネットもありません。すでにハマンによるユダヤ人撲滅の命令書は、百二十七州の全ての首長に配布されていました。その後、取り消す命令が発布されても、実際に首長たちの手元に届くまでには、何ヶ月も要したわけです。当時は飛脚のような人たちが、王の命令書を全州の首長に届けたわけです。まさしくここに大きな神さまのタイミングが関わっていたのです。そのタイミングを掴んだのが、エステルであり、モルデカイでした。

こうして見ますと、私たちも日々の生活の中で、神が与える時を意識する大切さを教えられます。そしてエステル記は、神はご自分のカレンダーに沿って、事を行われるというもう一つの側面です。それは我々が日常で使っている太陽暦ではなく、ユダヤ暦に沿って事を行われるという法則です。
エステル記には神の名前は一度も出てきません。どこに神がおられるのだろうか?しかし神は、ご自分が設定された暦に沿って、神の業を粛々と実行されるのです。そしてその時を掴まえた主の勇士たちが居た、という事実を合わせて知る必要があるのです。
ユダヤ人が皆殺しにされる予定日、「アダルの月の十三日」が、ユダヤ人たちにとって、最大の解放の日となったのです。大喜びの日となりました。

辺境にある州においては、まさしくアダルの月の十三日に入る直前、殺害中止命令が届いたのかもしれません。すでにユダヤ人を撲滅する準備が整えられていたただ中に、飛脚が飛び込んで来て、撲滅計画中止が知らされたのです。
アダルの月の十三日は、田舎のユダヤ人たちにとっては大緊張の日だったと思われます。しかし、明けて十四日は、大きな喜びと感謝の日となったわけです。