2022年1月16(日)新城教会主任牧師 滝元順

詩篇50篇15節
『苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出し、あなたはわたしをあがめる。」』

ナホム書1章7節
『主はいつくしみ深く、苦難の日のとりで。ご自分に身を避ける者たちを知っていてくださる。』

おはようございます。ハレルヤ!
皆さんと共に礼拝を持つことができますことを、心から感謝しています。今日の礼拝の最後に、婚約式があります。その関係者の皆様方も礼拝に来てくださっています。本日、婚約されますのは、TさんとKさんです。

今朝、撮った写真です。素晴らしいですね。このお二人は、新城市の土からできました。この地で生まれ、新城教会で育った二人が婚約するのは、私にとって本当に嬉しいことです。これからも、どんどん続くことを望んでいます。

先週は、二十四時間ではなく四時間PPHがありました。そこで私も賛美させていただきました。ひさしぶりに声を出して本当に楽しかったです。私たちはバンドを止めて、かれこれ三十年ぐらい経つのですが、今回、グロリアシンガーズを再結成させていただいたのも、回復と再建の一つだと思っています。そして今年は、主が、我々を苦しめ、災いをもたらした敵に対して、復讐してくださる勝利の年になると、私は固く信じております。

何事でも最初が肝心です。祈りから始めますと一年がうまくいきます。今日も午後から、愛知県民の森に行って祈りの時間がもたれます。是非とも、時間を作ってご参加いただきたいと思います。先週も多くの方が参加されました。
 教会には人生の四季があります。赤ちゃんが生まれるところから、天に帰られる方まで、一生を教会で過ごします。
教会は、ある意味で「砦」のような場所です。「砦」とは、敵の只中にある味方の拠点です。周りに敵がいても、砦に逃げ込んだら助かるからです。「教会砦」は、天地宇宙を造られた神さまが守っている砦です。

先週は、私にとって、ちょっと悲しいことがありました。それは綾子ビラップス先生が召天されたからです。アメリカのタコマに住んでおられたのですが、先週、亡くなられました。
 この教会にも、何度も来てくださいました。八十九歳でした。先生とお会いして、私は大きく変えられました。人生は出会いで決まると言われますが、ちょっとした出会いで人生は大きく変わるわけです。そして教会には、本当に良い出会いがあります。

私たちが信じる神さまは、どのような方であるのかというと、「良い方」です。
しかし日本の神々は、一言で言えば、社会学者たちも指摘しているように、「祟り神」です。日本の神々を思い出して下さい。供え物をしたり、拝まないと祟る神々です。日本人は皆、信心深いのですが、祟りを恐れて神々を祀ることが多いのです。しかし聖書の神さまはそうではなく、良いお方です。

今日読んでいただきました聖書箇所、まずは詩篇五十篇十五節。

『苦難の日にわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出し、あなたはわたしをあがめる。」』

「わたし」とは、天地宇宙を造られた神、「イエス・キリスト」のことを指します。「苦難の日に呼び求めたら、あなたを助けますよ!」と約束しています。
そしてもう一箇所、ナホム書では、

『主はいつくしみ深く、苦難の日のとりで。ご自分に身を避ける者たちを知っていてくださる。』

「知っていてくださる。」という言葉は、ヘブル語では、「目で確認して、印をつける」という意を含んでいます。我々がイエスさまに身を避けたら、イエスさまがあなたを目で確認して、あなたに特別な印をつけるのです。現代風に言えば、タグ付けしてくださるという事でしょうか。常に私たちを気にかけてくださるのです。そのような神さまに身を避け、その方を砦とするならば、人生は安心です。

砦とは、身を守る為の施設であると同時に、瀧川先生が新年に語っていたように、「戦いの拠点」です。そこを拠点に戦い、敵を殲滅させる役割を担っているわけです。
その砦の主は誰であるかと言ったら、天地宇宙を造られた良いお方、イエスさまです。
英語で神さまのことを「ゴッド」と言います。「God」ですね。それで「良い」が「グッド」、「Good」です。God(神)はGood(良い)の短縮形だと言われます。それも頭文字が大文字の場合は、とことん良い方であり、それが私たちの神、Godです。祟り神とは違うのです。

さて、今日はこれで私のメッセージは終わりたいと思います。そして、その良い方に身を避けた時、何が起こったのか、実際に助けてもらった一人の人物を、今からここにお呼びしたいと思います。そして、これからの時間をすべて差し上げたいと思うのですが、よろしいでしょうか。

それが誰かと言いますと、私の家内です。私の家内、この会堂で皆さまにお目にかかるのは、二年四ヶ月ぶりくらいでしょうか。順先生の奥さんは「生きているという噂は聞いたけど…。」今から姿を現します。
家内は二年三ヶ月前、「後、三ヶ月、四ヶ月の命です」と、余命宣告された人物です。しかし主を呼び求めたら、主が助けてくださいました。この二年三ヶ月にあった出来事は、ある意味、壮絶な病との戦いでした。
しかし私たち夫婦は、砦に逃げ込み、イエスさまに頼りました。その時、「病の王」と称される「膵臓癌」に打ち勝ち、癒やして下さいました。今朝は一つの区切りとして、皆さんに感謝を込めて、家内に証しをしてもらいたいと願っています。
私の愛する妻、享子を紹介いたします。

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 今日こうして、二年三、四ヶ月ぶりに皆様の前に立たせていただくことができて、本当に、心から感謝をしております。これまで皆様が心を尽くして、私のために祈ってくださり、今日があることを、本当に感謝しております。こんなに元気な姿を、皆様に見ていただけるのは、皆様に祈っていただいた結果に他なりません。高い所から大変恐縮ですが、心からのお礼を申し上げます。ありがとうございます。

約二年間の長い戦いの月・日が流れる中で、いろいろなことがありました。今日はこのような機会をいただきましたので、主がなしてくださったみわざについて、皆様に分かち合うことができれば嬉しく思います。祈り心で聞いていただければ幸いです。

二〇一九年十月二十五日、今から二年三ヶ月前のことになりますけれど、膵臓癌という病が発覚しました。その年は、年初から夫とともに日本全国、また、海外の教会で、「霊的戦いセミナー」の働きが始まった年でもありました。約十ヶ月間、本当に忙しく、私は疲れが溜まっているんだと思っていました。
それで、星野先生の病院で血液検査をしていただきました。すると、血液検査に大きな問題があるということで、すぐに大きな総合病院に行くようにというご連絡をいただきました。紹介状をいただいて、その日の内に、豊川市にある総合病院に行きました。そこですぐに精密検査がなされて、造影剤を入れてのCTを撮ったり、いろんな検査をしました。
その後、診察室に呼ばれて医師から告げられた病名は、膵臓癌でした。それも、すでに腫瘍の大きさが三センチから四センチになっていて、末期の膵臓癌であるということでした。
私たちにとって、本当に青天の霹靂でした。想像だにしなかったことが突如、私たち夫婦に降りかかってきました。膵臓癌は、最もタチの悪い癌で、膵臓癌イコール死に直結する病だという認識が私のうちにもありましたので、医師にすぐに「私はあとどのくらい生きられるのですか?」と尋ねました。医師は「そうですね。三ヶ月、四ヶ月ぐらいですかね。」と言われました。そしてその日、即入院が決まりました。

まずは黄疸の治療から始まりました。胆管が癌によって押しつぶされていて、胆汁が流れない状態で肝臓に胆汁が滞留し、体中に黄疸が出ているということでした。すぐに治療しなければ、命に関わるということでした。そんな処置から始まりました。豊川市の総合病院で、胆管中にステントを入れて胆汁の通り道を確保する手術が行われたのですが、手術台に上って、そのような処置を始めたら、胆管が癌に完全に押しつぶされていて、固すぎてステントが入っていかないようで、医師たちが「これは駄目だ。全然入っていかないから、もうやめよう。」という話をしている声を手術台の上で聞きました。これからどうなってしまうのか・・、不安な気持ちで病室に戻されました。
その総合病院では為す術がなく、藤田医科大学病院という、豊明にある大きな病院に転院しました。そこでも入院直後に同じ処置が行われ、一回目はやはりできなくて途中で断念しました。しかし二回目に、なんとかステント設置ができました。それで胆汁の通り道がしっかりと確保されました。医師は何度も何度も、「本当に大変な手術だった。本当に苦労した。」とおっしゃっていましたが、本当にそうだったと思います。

それでひとまず、命の危険が回避されました。しかし、もう一つ大きな問題がありました。それは、十二指腸にも癌が浸潤していて、十二指腸が押しつぶされて、間もなく食べ物が通らなくなるということでした。ですから、すぐにでもバイパス手術をしなければいけないと言われました。
しかしドタバタでそこまで来ましたので、祈る時間が欲しいという思いもありましたし、ちょうど年末と新年を挟むということで、病院も休みに入ってしまうこともあったので、ひとまず、その手術は待ってもらって、一度、退院させてもらいました。
その時点で余命三ヶ月、四ヶ月の内、約二ヶ月を費やしていました。本編の癌治療は、全く手つかずで、残された命の期間は後一ヶ月、二ヶ月でした。残された貴重な日々を、何の治療も施さないまま過ごさなければいけないという、大きな不安があったのも事実です。

その頃には体の調子も、最悪と言っても過言ではない状態になりました。お腹にも背中にもひどい痛みがありました。毎日、主人にさすってもらっては支えてもらう状況でした。お腹には水が溜まって膨れ上がっていました。こうして下を見ると、つま先が全然見えませんでした。それくらい水が溜まって腫れ上がっていました。お腹だけではなくて、胸にも水がたまって、本当に息も苦しいような状態でした。
さらに最悪だったのは、私は「メリメリ感・パキパキ感」と呼んでいたのですが、これはあくまでも、私の感覚なのですが、癌が良い細胞を壊しながら体の中で広がっていくという、そんな感覚でした。メリメリ、パキパキ音を立てながら、癌が広がり続けているような、それは本当に恐ろしい感覚でした。

でもそのような最悪の状況下でしたが、その中でいろいろな神さまによる、不思議な体験がありました。事が事だっただけに、息子も東京からすぐに駆けつけてくれて、息子と娘と、私と夫と、この教会に来て、十字架を囲んで本当に真剣に祈りました。その時にそれぞれに、主からの語りかけがありました。それによって本当に励まされたのですが、二年三ヶ月を経た今、それらが全て現実となって実現していることを、本当に感謝に思います。

これは私自身の体験ですが、ある夜、一つの夢を見ました。それは一晩中、夢の中で私が笑っているんですね。起きた時にもその笑いが続いていて、大きな口を開けて笑っていて、満面の笑みで目が覚めるという夢でした。病気に関する夢であったとは思うのですが、内容に関しては、一切覚えていないのですが、でも、心地の良い気持ちだけがその夢を通して残りました。何かを神さまがしてくださるのではないだろうか、というような期待を持つ夢でした。

そしてあと二つほどあるのですが、それらもとても不思議な体験でした。夫と息子が私の前で私に手をおいて、癌の癒しのために祈ってくれました。その時に後ろには誰もいないはずなのに、後ろから思いっきり、背中をパンッと叩かれた経験です。誰がいるのだろう?誰もいないはずなのに…。と思ったのですが、それは聖霊さまか天使だったのか分かりませんけれども、それも心地良い体験でした。聖霊・天使、そのような存在に激励されたような、そんな感覚でした。それも大変不思議な体験でした。

そしてもう一つは、西の空に、くっきりと鮮やかに、光り輝く十字架の形をした一番星、宵の明星を見た事です。それもただの十字架ではなくて、ペンダントのような、角ばった、見てすぐに「これは十字架だ!」とはっきり分かる形の十字架が、西の空に出ました。それを見た時、暗闇の中でも主が共にいて助けてくださるから頑張れ!というような、励ましに感じて、とても励まされました。

そして極めつけの出来事がありました。それは翌年の二〇二〇年一月六日の出来事です。
今まで話した事が起こったのは、二〇一九年の十二月ですが、二〇二〇年一月六日に、十二月に体験した事柄が、本当に主から来たものであるということを確認できるような事が起こりました。
それはすでに夫が皆様に動画によって紹介させていただいたと思うのですが、私には孫が五人いて、一番下の孫を「勝門」と言います。
当時、勝門は三歳でした。夢という概念がまだ全くない時に、勝門に、夢の中でイエスさまが現れて語られました。それは勝門に語られたというよりも、私たちを励ますために、勝門を用いられたと思うのですが、夫はその話を聞いて、泣き伏しておりました。

その内容は、ママ(私の娘)が、教会に来る途中に、勝門が後部座席に乗っていて、いきなり後部座席から運転席に顔を出して、「ばぁば、もう治ったって。」と、そういうふうに言ったのですね。娘が「え?何って言った?」と聞くと、「ばぁばもう治ったって。」と言うのです。
「誰がそんな事言ったの?」と聞くと、「イエスさま。」と答えました。「イエスさまにどこで会ったの?」と聞くと、「かつとがねんねしてる時。」というふうに言いました。
それで詳しく内容を聞いてみると、「ばぁばの所にイエスさまが治る薬をあげるよと言って、ばぁばに治る薬をくれた。そしてカツの所に来て、ばぁばはもう治ったよと言ってくれた。」と、そういうふうに言いました。何度聞いても、全く同じことを繰り返すのです。イエスさまがどんな方かということも、勝門にはまだ分からなかったと思いますし、夢というものがどういうものかも分からない頃でした。
そんな時に、イエスさまがそのような方法を使って、私たちを励ましてくださいました。前回、ここで皆様に見ていただいた動画は、二回、三回と娘が勝門に確認をして、その後に撮影をしたものだったので、あまり感動的なものではなかったのですが、実際は本当に感動的なものであったということです。私もそれを聞いた時に本当に感動して、心が熱くなるような思いでした。
そしてこの出来事は、十二月に起こった、数々の不思議な体験を裏付けるものとなって、どれだけ、励まされたのかわかりません。