「70年が満ちた2021 回復と再建の年! 伝道礼拝 〜天下にイエス・キリスト以外、救いはない!~」

やがて大学入試の時期が来て、「さぁ大学に行こう」と思った時に、一つの事に気づきました。「大学には入試がある」ということです。私は実業高校でしたから、普通の大学入試の勉強なんかしていませんでした。自分の実力では入試は無理だと気づきました。それで卒業した母校の元担任の所に行って、掛け合いました。当時、推薦入学制度がありまして、なんとか先生に、推薦入学させてくれるように頼みに行きました。そしたら、「おまえ何言ってんだ。この成績じゃ、推薦なんか無理だ。」と言われました。そして「そもそも推薦入学は現役の高校生のものだから、おまえのように卒業したやつは難しい」「頑張って、自分で勉強して入れ。」と言われました。いや〜これは難しいなぁと思いました。
しかししばらくして、先生が「ちょっと待てよ、おまえはもしかしたら推薦できるかもしれない。」と言って推薦書類を作ってくれました。
その結果、私は四年制の土木工学科に入学することができました。すごくラッキーでした。
では、なぜ推薦してもらえたのかと言うと、高校時代に、私は一つの手柄を学校のためにたてたからでした。学校に貢献したのです。それを題材に推薦してくれて、推薦入学が通ったのです。その手柄がどんなものであるのか、皆さん聞きたいですか?

聞きたければ話そうかと思うのですが、まぁ。話すつもりで用意していますけれど。
私は高校時代もあまり勉強ができなくて、あの頃、一クラス五十人近くいたでしょうか。男子校でした。クラスでの順位は、真ん中以下でした。その頃は就職なんか、いくらでもありましたから、高校さえ卒業すれば、誰でも就職できました。
その高校では毎年、ひとつのコンテストがありました。どんなものかと言うと、「実物鑑定競技会」というコンテストでした。五十問が出題されるテストです。しかも、一問につき与えられる時間は二十秒です。二十秒間、技術的な公式とか、計算とか、実験器具とか、様々な土木関係の問題が出題されるのです。二十秒の間に答えを書くのです。このテストで全校で三位以内に入ると、県大会に出場できるのです。県大会には愛知県下の実業高校から優秀な人たちが集まって競います。そこで同じような試験があって、一位になると、ただ一人、「全国大会」に出場できるのです。
無論、私なんか、そんなものにはまったく興味はありませんでした。三位までに入る可能性は全くなし。ただ、面倒くさいコンテストだと思っていました。
高校三年生の出来事だったのですが、そのコンテストがあって、私はまったく勉強もせずに、当日学校に行きました。すると、その日に限って、私の隣に私よりも先に問題を解く(一問二十秒で回答し、次のセクションにずれていくのですが)クラスで一番優秀な男がいました。それで私は何をしたのかというと、冗談半分に、わからない問題は、彼の答案を写しました。彼も私に協力してくれたものだから、彼の答案をカンニングして提出しました。それでも、三位なんかに入るはずはないと信じていました。全く冗談半分で行ったことでした。
コンテストが終わり、やがて結果が発表されたのです。なんと私は、校内選考で第三位に入ってしまったのです。それで、「県大会に行け」と言われました。私は全く実力はないのに、三位になって、県大会に行く羽目になったのです。
当時、私はすでにクリスチャンでしたから、ちょっと心が責められました。なぜならば、カンニングで三位になったからです。これはまずいな・・と思いました。先ほどのドラマの中で父が「あなたは泥棒だ」という、神の声を聞いたとありましたが、なぜなら、彼は農場のトマトを盗んだり、きゅうりを盗んだり・・・、その中にカンニングも入っていました。父はそれをよく話していました。私は「カンニングは泥棒の罪だ!」といつも父から聞いていました。やっぱ、俺、泥棒しちゃったんだと思いました。こういう時にはちゃんと悔い改めなければいけないと思って、先生の所に行くことに決めました。
でも当時の学校の先生たちって、戦争で生き残ったような兵隊上がりが多く、土木科なんて、そういう人たちばかりでした。すぐに平手打ちみたいな感じでした。また悪いことにコンテストを担当していたのが、一番怖い先生でした。しかし私は決意して、まずは神さまに、「カンニングしました。赦してください。先生の所に行きます、助けてください。」と祈って出かけました。
「先生、ちょっと話があるんですけれど・・・。」『なんだ?』「僕は罪を犯しました。」と言ったら、『何をやったんだおまえは?』と言いました。「実は、実物鑑定競技会でカンニングをして、私は三位になりました。だから私には県大会に行く資格はありません。私を落として、四位の人を繰り上げ当選させて、県大会に行かせてください。」と頼みました。
しかしその先生、何と私に言ったと思いますか?『うるせぇ!おまえ、男だろ。自分の行動に責任を持て!県大会に行って来い!』と言いました。いや〜、カンニングなどやらなければ良かったなぁと思いました。それでついに、県大会に行くはめとなりました。
県大会までに、二ヶ月くらいあったので、私はその間、初めて真剣に勉強しました。なぜしたのかと言ったら、一位、二位の人たちの成績と、私の成績が県大会で乖離していたら、やはり恥になりますから、少なくとも彼らと同レベルくらいの成績になりたいと思ったからです。
県大会当日、愛知県中から一位から三位までの人たちが集まって競いました。当然私なんか、無理に決まっています。
さて皆さん、そのコンテストで、私は何位になったのでしょうか。なんと、県大会で私は優勝しちゃったのです!愛知県で一位になりました。
「滝元君!あなたは愛知県代表として、全国大会に出場してください。」ということになったのです。いや〜、意外でした。私がカンニングさせてもらった男は県大会で二位でした。彼が大変悔しがりまして、「俺はお前に答えを見せてやったから、ここに来られた。しかしお前が一位になって全国大会に行くのかよ!本当に悔しい。」と嘆いていました。
人生って不思議なものですよね。しかし私はあまり、ピンと来ませんでした。なぜなら、偶然が偶然を呼んだみたいな、カンニングから始まった事であったからです。
今でも覚えていますが。全国大会はその年、四国の松山でありました。当時、四国まで旅行するのは、海外旅行のような時代でした。今から五十年以上前の話ですから。私は先生を二人引き連れて、全国大会に出向いたのです。二人の先生がたいへん興奮して喜んでくれました。「滝元君、ありがとう!君のおかげでこんな旅行ができるなんて、光栄だ。」とか言って、喜んでいました。大会に行く前には、激励会がありまして、千人以上の生徒たちの前で、朝礼台に立たされて、「頑張って行って参ります!」みたいな、出征兵士のようでした。応援団が出て「ふれ-ふれ-!滝元!ふれ・ふれ!ちゃちゃちゃっ!」なんてやられて、送り出されました。冗談から始まったのが、こんなことになってしまいました。少しは、罪を悔い改めたことによって祝福を受けたのかな?と思ったけれど、それが将来、人生を変えるきっかけになるなんて、少しも思いもしませんでした。私は人前に出るのがあまり好きではなくて、プレッシャーでした。
しかし全国大会に向けて、真剣に祈り、一生懸命勉強しました。全国大会にはいろいろな種目があって、一週間に及びました。しかし私の出番なんか、一問二十秒で五十問ですから、二十分弱で終わりました。結果発表は最終日で、あとはぶらぶらしていました。やることなくて、金もないから、街をただ歩く悲しい旅だったのですが、でも、楽しかったです。そして最終日、待望の結果発表がありました。私は一位ではなかったけれど、全国二位でした。最優秀じゃなくて、優秀賞を受賞しました。私は全国二位という賞状と、トロフィーかなにかをもらって、錦を飾ってというか、新城高校に戻ったわけです。戻ったら、今度はまた歓迎会です。またもや朝礼台の上に立たされて、盛大な拍手をされて、「よく頑張った!」と全校生が喜んでくれました。校長先生が「滝元君、これが本校にとって、どのくらい名誉であるか、君には分からないだろう。」と言いました。私は「分かりません」と答えました。かなり名誉だったらしいのです。長らく、私のとった賞状が職員室かどこかに飾ってあったそうです。それが高校時代の手柄でした。

それがあったことによって、一年後、実力はなくても、四年制大学に入学できたのです。カンニングして良かったなぁ・・、じゃなくて、悔い改めをして良かったなと思っています。
振り返れば、全てを主に感謝しています。なぜならば、一年間働いたことによって、社会の厳しさが分かりました。ですから、私は大学四年間、本気で勉強をしました。後に現場に戻ったときのために、みんな講義をよく休んでいましたが、休みませんでした。全部の講義に出て勉強しました。
また、四年間の成績をトータルして、平均点が八十点以上の人たちの中で、トップになったら、四年目の学費を全額返してくれるという特待生制度がありました。私は結構、大学に入ってからは成績が良かったので、「特待生になれるかも!」と思いました。一年間、汗水たらした金を取り戻せる!と思ってわくわくしていました。

そして、特待生を目指して、最後の試験に臨みました。もう一人、私の友人で、大変優秀な男がいました。彼と競っていたところがあったのですが、「俺は絶対に勝てる!」と自信がありました。そして発表の日がきました。
誰が一位になったと思いますか。残念ながら、私ではなかったのです。私の友人が私よりたったの「0.5点」だけ勝っていて、彼が特待生になってしまいました。本当に悔しかったです。

しばらくしたら彼が私の所に来て、「滝元、ちょっと話がある。君に謝らなければならないことがある。」と言いました。
『えっ?何を?』と聞くと、「僕は特待生になったけれど、特待生の資格なんかない。」と言うのです。どうしてかと聞くと、なんと、「最後の試験の時、君の答案をカンニングさせてもらった。」と言うのです。それで私よりも0.5点上回って、特待生になったそうです。私はそのことを聞いて、少しショックだったけれど、ちょっと嬉しかったです。なぜならば、私はカンニングして、大学に入学できたのです。でも最後は、カンニングされて特待生を逃しました。それでチャラです。神さまも粋な形で落とし前をつけてくれたというか、ユーモアのある方だなぁと思います。私は万年、一番にはなれない男です。
いずれにしても、私たちが神さまの前に罪を悔い改めると、どんでん返しが起こります。すべてのことを相働かせて益としてくださるのです。

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。』(ローマ八章二十八節)

イエス・キリストを信じる告白をし、罪を告白する時、根本的には何が起こるのか。先ほど読んだ聖書の箇所にありました。『暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせる。』とあります。
救いとは、悪魔の支配からの解放です。やがて私たちは、この地上を去って、地球から出て行かなければならない日が来ます。外に出ると、一つのことに気づくのです。死ぬ瞬間は、ちょうど出国の列に着くようなものかもしれません。「大勢の人たちが一度に死ぬものだなぁ。」とね。
死んだら、次の国に入るのです。それは私たちが持っているビザによって決定されます。地球から去った日に気づくことは、死後に入国可能な国は「二つしかない」ということです。神の国か、それとも、悪魔の国かの二つの内の一つです。
もしも、私たちがイエス・キリストを知らなければ、悪魔の支配下ですから、悪魔の国に入国しなければならないのです。
神の国への架け橋は何でしょうか。イエス・キリストです。他にはありません。

今日、「天下にイエス・キリスト以外に救いはない!」というタイトルをつけました。あまりにも大胆な題ではないでしょうか。自信に満ちています。これは事実です。イエス・キリストを救い主として信じるならば、私たちはサタンの支配から神の支配下に移されて、神の国を受け継ぐものとされるのです。そのために必要なのは二つです。
一つは、イエスさまを自分の救い主として受け入れる告白。そして自分が罪人であることを認めて、罪を告白する時、救いを得ることができるのです。なぜならば、イエスさまが十字架において、全てを成し遂げてくださったからです。